天孫降臨とは

時に、高皇産靈尊、眞床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊々杵尊に覆ひて、降りまさしむ。皇孫、乃ち天磐座を離ち、且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯に天降ります。既にして皇孫の遊行す状は、くし日の二上の天浮橋より、浮渚在平處に立たして、そ宍の空國を、頓丘から國覓き行去りて、吾田の長屋の笠狹碕に到ります        (日本書紀より)

音川安親編 万物雛形画譜

音川安親編 万物雛形画譜

日本民族は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨の時にあまくだって来た民族であります。すなわち天の理念があまくだって孫となったのが日本民族なのてあります。それは「大和」の理想であったのです。その理想を持ってあまくだって国を建てたのであります。
その理想が古事記に一大叙事詩として書かれています。

北面武士

 

※ニニギノミコト資料

地神五代の三代目。日向三代の初代。

●邇邇芸命の御名

●天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ・紀九段一書一、二書一)
●天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ・古事記)
●天津日高日子番能邇邇芸能命(あまつひこひこほのににぎのみこと・古事記)
●天津日子番能邇邇芸命(あまつひこほのににぎのみこと・古事記)
●天津彦国光彦火瓊々杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと・紀九段一書四)
●天之杵火火置瀬尊(あまのきほほおきせのみこ・紀九段一書七)
●日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと・古事記)
●天杵瀬命(あめのきせのみこと・紀九段一書七)
●天杵瀬尊/裒能忍耆命(ほのににぎのみこと・拾 天中の三神と始祖系譜、拾 吾勝尊)
●天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと・日向風逸)
●皇御孫(すめみまのみこと・拾 吾勝尊、拾 造殿の斎部)
天忍穂耳命が、高木神の娘・万幡豊秋津師比売命と御合してもうけた子。兄弟に天火明命がいる。天忍穂耳命に代わり、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りした。神阿多都比売(木花之佐久夜毘売)との間に火照命・火須勢理命・火遠理命の三子をもうける。

邇邇芸命の鎮座
霧島神宮(鹿児島県霧島市)
新田神社(鹿児島県薩摩川内市)
高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)
日向大神宮外宮(京都府京都市)
築土神社(東京都千代田区)
射水神社(三重県南牟婁郡)
常陸國總社宮(茨城県石岡市)

宮崎県延岡市可愛山陵 ニニギノミコトの 銅像

宮崎県延岡市可愛山陵 ニニギノミコトの 銅像

宮崎県延岡市可愛山陵 薩摩軍 の 軍議場所の すぐそばにあるニニギノミコトの 御霊

宮崎県延岡市可愛山陵 薩摩軍 の 軍議場所の すぐそばにあるニニギノミコトの 御霊

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明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。