香淳皇后歌碑

宮仲公園

宮仲公園

宮仲公園

JR山手線大塚駅より明治通り方面へ北東方向に向かい、都道436号線沿いにある小さな宮仲公園がある。

近隣に住む住民以外に知られていない無名の公園であるが、もし近くにお尋ねの折には是非訪れて歌碑をご覧になって欲しい公園である。

公園内には、昭和天皇の皇后であられた香淳こうじゅん皇后が、大東亜戦争下の昭和18年5月19日に防空訓練視察に訪れた時にお詠みになられた御歌の歌碑がある。

「国母」と慕われた香淳皇后.「皇后宮御歌」の碑

「国母」と慕われた香淳皇后.「皇后宮御歌」の碑

奈俱散免無 古登能葉毛駕難
なぐさめむ ことのはもがな

戦飛農 尓波遠之能微轉
たたかひの には(わ)をしのびて

数具寿 也閑羅遠
すぐす やからを

(訳)
なぐさめる 言葉もありません
戦場を偲んで 過ごしている人々を思い

 昭和18年5月19日に豊島区西巣鴨二丁目2601番地、豊島授産場付近で隣組の防空訓練が行なわれ、皇后がご視察され御歌をお詠みになられた。
 これを記念して当時の町会長が宮仲公園に皇后の歌碑を建てたという。

「香淳皇后宮御歌」歌碑の解説板

「香淳皇后宮御歌」歌碑の解説板

宮仲公園の由来

宮仲公園の由来

宮仲公園の由来

宮仲公園ノ由来

昭和十三年十一月東京市豊島區西巣鴨二丁目二千五百七十番地居住ノ澁澤正雄 氏ハ此ノ地貮百余坪ヲ東京市ニ寄附セラル
依テ市ハ此ノ地ニ児童遊園地トシテ宮仲公園ヲ開設ス 茲ニ由来ヲ記シ後世ニ伝フ
昭和十六年十二月
東京市

大谷大学開学の記念碑

宮仲公園大谷大学開学の碑

宮仲公園大谷大学開学の碑

この地は、東本願寺の学寮の流れを汲む真宗大学(現在の大谷大学の前身)開学の地でもあるという。その由縁で大谷大学開学の記念碑が公園内にある。

大谷大学跡の地図と由来

大谷大学跡の地図と由来

大谷大学跡の地図

大谷大学跡の地図

宮仲公園の場所

所在地

東京都豊島区上池袋1丁目36−1

マップ

マハヤナ学園

淑徳巣鴨中高等学校第二体育館前には、豊島区教育委員会が設置した「マハヤナ学園跡」という案内板がある。
案内板には、「マハヤナ学園は、かつてこの付近にあった貧困層が多く住む『二百軒長屋』と呼ばれる地域に、社会事業家の長谷川良信(1890-1966)によって創設された総合社会事業施設である」という内容の文章が記されている。

マハヤナ学園案内板

マハヤナ学園跡
(西巣鴨二-三六-一七)

マハヤナ学園保育部・夜学部の修了式記念撮影(大正末年)
丸囲いが創設者・長谷川良信。左手に「マハヤナ」の看板が見える。

 マハヤナ学園は、かつてこの付近にあった貧困層が多く住む「二百軒長屋」とよばれる地域に、社会事業家の長谷川良信(一八九〇-一九六六)によって創設された総合社会事業施設である。
 長谷川は宗教大学(現大正大学)を卒業後、東京市養育院巣鴨分院に勤務し、闘病を経て、東京府慈善協会の救済委員を委嘱され、一九一八(大正七)年五月開設の宗教大学社会事業研究室に迎えられた。この社会事業研究室は、わが国の社会事業研究・職員養成の先駆的機関である。長谷川は、この年の10月、「二百軒長屋」に単身移住し、不就学の年少労働者たちを相手に夜学会を開設する一方、住民の身上相談に応じていた。
 翌年一月一五日、この活動は「マハヤナ学園」として組織化された。サンスクリット語の「大いなる乗物」を意味する言葉が冠されたこの施設は、その創立趣意書に謳われた「総合的組織的済貧計画」を実行すべく、仏教思想を根底とした社会事業を展開していった。
 創立当初二部であった組織は、一九三二(昭和七)年には医療・保健・教育等を含む二二部にまで拡大し、日本社会事業の草創期において重要な役割を担った。
 現在、長谷川の思想は、大乗淑徳学園、マハヤナ学園撫子園、また、遠くブラジルの地にまで受け継がれている。
二〇一〇(平成二二)年一二月
豊島区教育委員会