靖国神社遊就館 零式艦上戦闘機(零戦)

昭和15(1940)年9月13日、重慶上空において、大日本帝国海軍の零式艦上戦闘機(零戦)13機が、中華民国空軍30機とのドッグファイトを繰り広げ、敵全27機を撃墜しながら、損害ゼロという完全勝利の華々しいデビューを飾った。
※中華民国空軍の戦闘機は、ソ連製のポリカルポフE-15・E-16

特攻勇士の像と零式艦上戦闘機

特攻勇士の像と零式艦上戦闘機

靖国神社遊就館で「零戦の会」による慰霊祭とオープン展示が行われた。通常は閉められているガラス張りのホールを開放され、普段見れない角度の機体の雄姿を存分に堪能させて頂いた。
最初、「ゼロ戦の日」の特別公開というので見学に行ってみたが、後で調べてみたら「ゼロ戦の日」は7月6日であり(笑)。※1939年7月6日、零戦試作機の試験飛行を行ったこの日を記念日にしたそうである。
そんな話はさて応いてまずは、三菱零式艦上戦闘機52型のフォルムを堪能あれ。

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

零式艦上戦闘機(零戦)

【大東亜戦争に於いて大日本帝国海軍の主力戦闘機として活躍した零式艦上戦闘機の略史】  
零戦は日本の戦闘機の中で最多の1万機以上が製造された。開発元は三菱重工業であったが、6割以上の機はライセンス生産で製造に加わった中島飛行機製であった。

零式艦上戦闘機一一型。十二試艦戦は、試作1号機が昭和14(1939)年9月に海軍が納受し、旋回性能・速度性能・昇降舵操作等の試験飛行が続けられた。翌昭和15年には、試作機という位置付けのまま初期量産型が支那の漢口基地に配備され、実戦に投入される事になった。同年7月に制式採用され、その年が皇紀2600年に当たることから年号の最後の数字を取って零式艦上戦闘機という名称が与えられた。

制式化される前に実戦配備されたのは、日中戦争で長距離爆撃に従事する海軍の陸上攻撃機が敵戦闘機の迎撃を受けて大損害を出し、現地部隊が航続力のある護衛戦闘機を強く求めていたからだった。

初期量産型の零戦一一型はおよそ60機生産されたが、一部の実験機を除いて翼端の折り畳み機構や着艦フックなど艦上機に必須の装備がなく、戦地では陸上機として運用された。尚、制式化された当初の名称は零式一号艦上戦闘機一型だったが、昭和17(1942)年4月に海軍機の呼称方法が改正され、零式艦上戦闘機一一型となった。

十二試艦上戦闘機(略号 A6M1)
試作1号機と2号機には三菱製の瑞星一三型(空冷二重星型14気筒・離昇780hp馬力)を搭載し3号機以降は、栄一二型(空冷二重星型14気筒・離昇940hp馬力)。
零戦一一型(略号 A6M2a)
一一型は計64機製造され、爆撃機の援護や防空戦闘の陸上戦闘機として活躍した。
零戦二一型(略号 A6M2b)
一一型を基に空母搭載機(空冷複列星型14気筒・離昇1,130hp馬力)として量産され、真珠湾攻撃には120機が参加した。
零戦三二型(略号 A6M3)
エンジンを栄二一型(空冷複列星型14気筒・離昇1,130hp馬力)に換装し、高高度性能の向上により空戦性能が大幅に向上した。
零戦五二型(略号 A6M5)
武装強化型の甲・乙・丙を含めて終戦までに零戦各型でも最多となる約6,000機が製造された。
零戦五三型(略号 A6M6)
エンジンを栄三一型(空冷複列星型14気筒・離昇1,300hp馬力)に換装したが完成は試作機は1機のみ。
零戦六二型/六三型(略号 A6M7)
五二型丙/五三型を爆撃機仕様に改良した戦闘爆撃機。
零戦五四型/六四型(略号 A6M8)
エンジンを金星六二型(空冷複列星型14気筒・離昇1,560hp馬力)に換装した幻(最後)の零戦。

零式艦上戦闘機(零戦)と特攻勇士の像

零式艦上戦闘機(零戦)と特攻勇士の像

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。