葦津珍彦先生【祥月御命日】 

葦津珍彦翁【祥月御命日】

2021.06.10 葦津珍彦翁祥月御命日に墓参

2021.06.10 葦津珍彦翁祥月御命日に墓参

2021.06.10 葦津珍彦翁祥月御命日に墓参

2021.06.10 葦津珍彦翁祥月御命日に墓参

葦津あしづ 珍彦うずひこ翁( 誕生 明治42年(1909年)7月17日 -死去 平成4年(1992年)6月10日)

小生が日本の思想家の中で、もっとも敬愛する一人が葦津珍彦翁である。
神道思想家であり民族派行動者であった葦津翁は、「神道・天皇の弁護士」を自認されたいた。実際、大東亜戦争敗戦により連合軍GHQに占領された我が日本は、建国以来最大に危機に瀕し、ファシズム的国教とみられた国家神道は徹底的に弾圧され、天皇制をも危うい空気の中で、徹底して「国体護持」の活動に尽力された隠れた英雄である。
葦津翁が戦後日本の精神復興に果たされた役割は大きく、愛国者民族派の最も信頼すべき精神的主柱であった。

葦津翁は筑前福岡の人である。
葦津家は代々筑前筥崎宮はこざきぐうの社家の一つであった。
この珍しい名珍彦(うずひこ)の由来は、記紀(日本書紀)に登場する国つ神である椎根津彦しいねつひこの別名である。
御尊父、耕次郎翁も「玄洋社」総帥の頭山満翁と親交を結び、在野で活動された真の国士である。
※「古事記」では槁根津日子。神武天皇が日向から東征して豊後水道にさしかかった時に漁師が現れて水先案内を買って出た。その漁師が「珍彦」と名乗った。倭に攻め進ん時には、蓑笠をかぶった老翁に扮して敵の目を欺き「天香山」の土を取ってきて天皇が土器を作り神を祭って勝利を得たとされたという伝承がある。倭国やまと国造くに の みやつこを務めた倭直やまとあたいの祖とされる伝説上の人物である。

沈才沈勇 葦津珍彦翁自筆の扇子

沈才沈勇 葦津珍彦翁自筆の扇子

沈才沈勇

葦津珍彦翁は「大アジア主義と頭山満」のなかで、血気盛んな若者に説いた言葉として「才は沈才たるべし。勇は沈勇たるべし。孝は至孝たるべし」を紹介している。
沈才沈勇
「平生においては無私の観念に心気を鍛錬し、事に当たっては、沈断不退の行いをなすを要す」
我々在野の浪人が心がけるべきは、頭山翁の「沈断不退」の行いなのである!
頭山翁は「何事も気を負うて、憤りを発し、出たところ勝負に無念晴らしをするは、そのことがたとえ忠孝の善事であっても、不善事に勝る悪結果となるものである」と説く。

5月の月命日10日に葦津珍彦翁墓所を訪れ献花と墓清掃を行った

5月の月命日10日に葦津珍彦翁墓所を訪れ献花と墓清掃を行った

5月の月命日10日に葦津珍彦翁墓所を訪れ献花と墓清掃を行った

5月の月命日10日に葦津珍彦翁墓所を訪れ献花と墓清掃を行った

民永劫の眠より 醒めよ日本の朝ぼらけ

我々世代は天下泰平の世に生まれ育ち、安穏の日々の中で往生するのだと思っていた事は、大いなる不覚のボケであった。

島国日本民族特有の平和は無償で手に入るという錯覚と油断である。

東日本大震災に加え福島原発メルトダウンを経験し、支那コロナ禍という古今未曾有の国難を受けた今でも幻想的平和論は消え去らない。
世界を見れば銃声は止まず、支那・北朝鮮・ロシアだけでなく旧ソ連諸国やアフリカ地域で独裁主義が横行し一般民衆が苦しんでいるのが事実である。

世界は平和ではない、断末魔の如く世界の至る地の多くの民が喘いでいるというのに・・・

そして、我が領土に於いても北方領土も竹島も奪還できず、尖閣だけでなく南西諸島・沖縄までにも侵略の奸計を企み不法侵入行為を繰り返す赤色支那の魔の手は益々強く悪辣になっているというのに・・・

我が日本の現状は、愚かなるポピュリズムにより、はき違えた「自由」を主張する者達に浸食され続けている。謀略暴力国家のスパイ?走狗となった?者どもに民族の伝え残さなければならない正しい歴史も、連綿と続く誇るべき固有の伝統文化も、否定され破壊されようとしている事実を多くの国民は気付くべきであり、気付かさせなければならない。

そんな思いを持ちながらも・・・

・・・「敦盛あつもり」や「万事塞翁ばんじさいおうが馬」が浮かんでくる・・・果たして下手に悟ったような境地を感じる愚かなる我も最後の御奉公を想わねばなるまい。

 

大墓公阿弖利爲の末裔

葦津珍彦翁祥月御命日 墓参

葦津珍彦翁祥月御命日 墓参