自衛隊PKO派遣に対する政府と国民の覚悟を促す

中立性を重じ武力行使を控えていたPKOが、ルワンダ内戦による100万人もの住民虐殺を未然に防げなかった教訓により活動方針が「国際人道法を遵守」に変質した。

Pakistan armed convoy in Mogadishu United Nations Operation in Somalia  From Wikimedia Commons

Pakistan armed convoy in Mogadishu United Nations Operation in Somalia  From Wikimedia Commons

「住民保護」を第一義として行動をとれば、国連平和維持軍は紛争の当事者になることを覚悟して活動しなければならない。しかし、武力行使を禁じた日本国憲法9条の明らかな違反行為であり、そこに大きな矛盾が生じてしまう。このような状態での自衛隊PKO派遣はもはや限界にきている。

南スーダンでは政府軍と反政府勢力による戦車や迫撃砲を使用した本格的戦闘が連日起こっている事は世界が知る事実である。
この状況下で、報告書だけは「戦闘ではない」と「武力衝突?」であると報告しろということが茶番である。戦場に身を置くPKO部隊の真実の声を聞くことなく、戦闘と武力衝突という文言の言葉遊びで紛糾するマスコミも政治家も国民も、あまりに日本だけの常識・非常識にとらわれ過ぎだ。
決して情報の隠ぺいや稲田朋美防衛相を擁護しているわけではないが、日報を隠蔽したとかしないとかは、問題ではあるが些末のことである。

戦時国際法で日本のPKO部隊を判断すれば間違いなく民間人ではなく交戦主体(敵軍)である。(そう見られなければゲリラ扱いで即銃殺)
住民が助けを求めて国連施設内に避難して来たとする。その中にゲリラや民兵が紛れ込み銃を発砲や乱射した場合、避難民救助のため応戦しなければならない場合も生ずるであろう。放置すれば避難民の虐殺どころか隊員の犠牲も出るであろう。このリスクが現実の世界である。
平和ボケした日本で、もしPKO派遣部隊の隊員一人でも死亡者が出れば、国内は騒乱の場と化し、平和護憲を連呼する反日本勢力は気狂いの如く崇高な任務であるPKO派遣を蔑み中止を叫び、政府を糾弾するであろう。
日本では誰も混迷と殺りくに満ちた世界のシビアな現状を見ていない。

キガリの学校の黒板に残されていた落書き。国際連合ルワンダ支援団 司令官のロメオ・ダレール の名と、UNAMIRキガリ州司令官のリュック・マルシャル の名、そして骸骨が描かれている

キガリの学校の黒板に残されていた落書き。国際連合ルワンダ支援団 司令官のロメオ・ダレール の名と、UNAMIRキガリ州司令官のリュック・マルシャル の名、そして骸骨が描かれている

1994年ルワンダで発生したフツ族によるツチ族のジェノサイド事件を思い出して欲しい。犠牲者は50万人から100万人と言われているが「公立技術学校の虐殺事件」を覚えてものは少ないであろう。首都キガリにあった学校にツチ族等の避難民が殺到し、ベルギーPKO部隊が警護をしていた。しかし、過激派の襲撃によりベルギーの隊員に犠牲者が出てしまった。ベルギー政府は撤退を決定し、PKO部隊は任務を放棄し撤収した。その直後悲劇が起こった。フツ族過激派民兵のインテラハムウェが学校を襲撃し、児童数百人を含む避難民1000人以上が虐殺された。それを知ったベルギーPKO部隊の指揮官は自殺した。
これが現実なのである。

最後に、故ダグ・ハマーショルド国連事務総長の言葉を記す。
「PKOは軍隊ではない。だが、その任務は軍人にしか遂行できない」
国際ボランティアの様な善意だけで務まる世界でない、この言葉の通り、訓練を積んだ実力組織でなければ務まらない過酷な任務なのである。
政府も国民も生半可な覚悟で、PKO任務を認識していれば世界から爪弾きになるであろう。

 

※平成4年(1992年) 国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法・PKO協力法)成立し、今年で25年になる。その間、自衛隊施設部隊をカンボジア・東ティモール・ハイチ・南スーダンに派遣しきた。
PKOは4つの部門、国連平和維持軍・平和維持及び停戦監視・国連文民警察・民生(選挙監視等)がある。