白善燁閣下 ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します

去る7月10日、韓国で「英雄」と称えられた白善燁(ペク・ソニョプ 백선엽)韓国陸軍大将が亡くなられた。

白善燁准将時(1950年9月17日撮影)

白善燁准将時(1950年9月17日撮影)

1950年に勃発した朝鮮戦争。北朝鮮軍の奇襲攻撃により深く南侵され朝鮮半島の過半を制圧されたが、アメリカを中心とする国連軍は釜山橋頭堡に背水の陣を敷き迎撃した。
最激戦となった多富洞の戦いでは、白師団長みずから先頭を切って突撃を行い戦況を挽回した。

 

その後、第1軍団長・休戦会談の韓国軍代表・参謀総長を歴任する。退役後は、外交官として中華民国・フランス・中近東各国・カナダ大使を歴任し、朴正煕大統領政権で交通部長官(交通大臣)に就任し、ソウルの地下鉄建設や1970年のよど号ハイジャック事件の解決に尽力された。
真の親日家で田中角栄・福田武夫・山村新次郎等と深い信頼関係で結ばれていた。
日本も白閣下の日韓国交正常化に対するご尽力に報いる為「勲一等瑞宝章」を贈っている。

ドキュメントDVD作品「韓国動乱」

ドキュメントDVD作品「韓国動乱」

白閣下と小生とのご縁は、朝鮮戦争を題材としたドキュメントDVD作品「韓国動乱」の取材を通じて大変お世話になった思い出がある。
ソウルの戦争記念館の脇の事務所に何度かお訪ねし長時間にわたるインタビューに加え、白閣下にお出まし頂き国立ソウル顕忠院でのロケまでさせて戴いた。
国家功労者や朝鮮戦争・ベトナム戦争の戦没者を祀る顕忠院ロケは特に印象の深い思い出であった。

 

白閣下を主人公にした朝鮮戦争の漫画があり、巻頭と巻末に若き英雄が老人となり戦没した将軍や部下を偲び顕忠院に一人詣でるシーンが描かれていた。
怖いもの知らずというか図々しくも白閣下にこの漫画のシーンを撮りたいとお願いをしてしまった。
それがどれほど無謀な事だかを後になって知り冷や汗をかいたのであったが、その時の閣下は軽く「いいですよ」と承諾して下さった。
閣下が来られる30分前に撮影スタッフ10人と共に先乗りし顕忠院に着いた。韓国陸海空軍の衛兵が捧げつつの直立姿勢で立っていた。その脇の衛所に行き通訳に頼み「白善燁閣下がもう直ぐ来られて、撮影をするので宜しく」といったところ、指揮官らしい上官が出てきて「馬鹿を言うな!帰れ!」手で去れと取り付く島もない。そこで閣下からいただいた名刺を出し再度説明したが、態度は急にソフトになったが「閣下が来るときは一週間前から陸軍省から連絡が入るからあり得ない!?」ときた。そこで「閣下の事務所に確認してくれ」と言ったとたん慌てふためき確認を入れ真っ青な顔で「どうしよう間に合わない」と叫んだのであった。その理由は白閣下が来る場合最低小隊規模の儀仗兵が参列しお迎えすることになっているとの事であった。そのドタバタの最中、閣下が到着した。衛所にいた軍人全てが直立不動で見守る中、上官らしい軍人が閣下に「急のお越しなものなので儀仗兵が間に合いません」。穏やかで優しいと思い込んでいた小生の前で閣下は「煩い!今日はいらんのだ!」と軍人らしい厳しい表情でおっしゃった。

 

3台のカメラをセットし閣下が門から記念塔に歩いてくるシーンの撮影を準備している時、韓国人スタッフから「鈴木さん、今何をしているか判っていますか?ここは公共放送KBS(韓国のNHK)でさえ催し物以外で撮影が許されない韓国で一番神聖な場所なのですよ」驚き不明を恥じ本当に閣下の偉大さと優しさを感じたことを思い出す。

最近、海外ニュースをコロナ以外あまり見ていなかったので不覚なことだが白閣下の逝去を知らなかった。友人の藤枝氏から連絡が入り白閣下訃報を知り、遅ればせながらではあるが心から哀悼の意を表させて戴く。

 

余談であるが、韓国の政治支持勢力比は10年前で保守:左派:無党派の比率は4:4:2であったが、現在は3:3:4と無党派層が増えている。そしてその保守・右派の中で親日の方々は数こそ少ないが10%ほどはいたのだが、「天皇が謝罪を」発言をした韓国国会議長の文喜相(ムン・ヒサン)あたりが知日派だというのだから理性あるまともな人間は益々減っているようだ。
やはり国家百年の大計を考えれば一定期間国交断絶するべきであろう。

 

大墓公阿弖利爲の末裔

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。