河上彦斎 祥月命日

尊王攘夷の正義と富国強兵の正論の衝突は日本国にとっての悲劇であった。

河上彦斎

河上彦斎

吉田松陰・勝海舟・河井継之助・橋本左内・坂本龍馬などの逸材を多く育てたことで知られている佐久間象山。しかし彼が、我が日本国が直面した「西洋列強の植民地化陰謀」を「孫子兵法」を用いた策で大国難からから逃れる術「西洋技術を得て殖産興業と富国強兵」に努める構想を唱えていた事は忘れられている。 

開国論を唱え続けた和魂洋才の天才を襲った肥後熊本藩士の河上彦斎は筋金入りの尊王攘夷思想であった。

河上彦斎(かわかみげんさい)漫画「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心のモデルにもなったことで若者たちにも認知度は高い。

彦斎は礼儀正く、漢文を綴り和歌を詠む教養ある武士であり、妻子に優しい温和な性格でだったと言われている。

 

日本史の中で最も暗殺が横行し、人斬りと呼ばれる男が出現したのが明治維新前夜の動乱の時期である。

幕末の四大人斬りと呼ばれ怖れられた河上彦斎、薩摩の中村半次郎、薩摩の田中新兵衛、土佐勤王党の岡田以蔵である。

新選組局長の近藤勇が「薩摩の中村だけは相手にするな」と訓戒したほどの人斬りが、中村半次郎こと(明治に改名して)西郷隆盛の片腕であった桐野利秋正五位陸軍少将。 

そして親幕府派の島田左近・勤王志士の本間精一郎・禁裏朔平門外の猿ヶ辻で斬殺された尊王攘夷派公家の姉小路公知を殺害した田中新兵衛。

土佐藩下目付けの井上佐一郎・本間精一郎・九条家の諸大夫の宇郷重国・京目明し猿の文吉・金閣寺の寺侍であった多田帯刀・尊皇派の儒学者の池内大学・公家千種有文の家臣公家千種有文の家臣を暗殺した岡田以蔵(京都町奉行組与力の渡辺金三郎・東町奉行所与力大河原重蔵・森孫六・上田助之丞などの暗殺にも新兵衛以蔵が加わっていた)。

「伝馬町牢屋敷」跡にある十思公園 石町時の鐘

「伝馬町牢屋敷」跡にある十思公園 石町時の鐘

彦斎は、時がたってから象山の偉大さを知り、以降人斬りの刀を納めたと言われている。

火もて 焼き水もて 消せど変わらぬは わが敷島の 大和魂

彦斎は、筋金入りの愚直な攘夷家であり続けた。維新後の明治政府の開化政策にも順応することができず遂に政府転覆を企てたかどで、明治4年(1871年)12月4日、伝馬町牢屋敷で断首された。 享年三十八歳

象山という人物を知る上で参考となる勝海舟の一文を紹介する。

花の春に先んずる者は、残霜の傷う所と為り、説の時に先んずる者は、旧弊の厄する所と為る。然りと雖も、先んずる者有らずんば、則ち後るる者 何を以てか警起せんや。

【解説】先覚者は容易には世に受け入れられず、災厄に遭うが、その説は後日受け入れられて、常識となった。象山は世人の旧弊な意識を打破する役割を果たしたのだ。

 

大墓公阿弖利爲の末裔