【目次】
本日、1月7日は、昭和天皇が昭和64年1月7日午前6時33分、吹上御所において御歳87歳で崩御された日です。
平和を求める強固な御意志と仁愛。
昭和天皇は終生、この精神を貫かれ、世界の平和と国民の幸福の承をご祈念あらせられたことを偲ぶばかりです。
昭和天皇は、明治34年4月29日、午後10時10分、大正天皇と貞明皇后の第1皇男子として東京府東京市赤坂区青山(現:東京都港区元赤坂)にある青山御所(東宮御所)でご誕生になり、御名を裕仁、ご称号を迪宮と称されました。
お印は若竹になられます。
昭和天皇は、大正13年1月26日、久邇宮邦彦王の第1女子である良子女王(香淳皇后)とご成婚になり、照宮成子内親王(東久邇成子さま)、久宮祐子内親王(夭折)、孝宮和子内親王(鷹司和子さま)、順宮厚子内親王(池田厚子さま)、継宮明仁親王(第125代天皇・上皇明仁)、義宮正仁親王(常陸宮正仁親王)、清宮貴子内親王(島津貴子さま)の2男5女、皇子女7人をもうけられました。
昭和天皇は、大正15年12月25日、大正天皇の崩御により葉山御用邸において践祚され、第124代の天皇となられ、昭和3年11月には、京都御所において即位の礼と大嘗祭のご大礼が執り行われました。
戦後は、日本国憲法の施行により、天皇は、日本国と日本国民統合の象徴と定められ、昭和天皇は、日本国憲法に定める国事行為を内閣の助言と承認に基づいて行われるほか、宮殿で行われる信任状捧呈式、認証官任命式、ご会見、ご引見、拝謁等にお出ましになりました。
昭和天皇のご巡幸は、昭和21年2月19日、神奈川県からはじまり昭和29年8月23日までに全国46都道府県(この時点では沖縄県はまだ返還されておらず、昭和64年(1989年)1月7日に崩御するまで、昭和天皇ご自身も終生望んでおられたのであるが、日本復帰後の沖縄県へのご巡幸はついに叶わなかった)を足かけ8年半にかけて行われ、全行程は3万3000km、総日数は165日になります。
ご巡幸は、昭和天皇がほぼすべてをお一方になられて国民を励まされたのをはじめ、最終回の北海道ご巡幸に際しては、北海道にて第9回国体が開催されたこともあって、国体ご臨席を兼ねて、昭和天皇と香淳皇后のお二方でご一緒にお出ましになられました。
なお、昭和天皇は全国ご巡幸の意義について以下のように語られてます。
この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。
この際、わたしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。
しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。
昭和天皇と香淳皇后は国際親善のため、ご一緒に昭和46年(1971年)9月27日から10月14日にかけて17日間、イギリスをはじめとするオランダやスイスなどヨーロッパ諸国7か国ご訪問。
昭和50年(1975年)には、当時の米大統領であるジェラルド・R・フォードの招待によって、9月30日から10月14日まで、14日間に亘ってアメリカ合衆国を公式訪問し、訪米前の予想を覆してワシントンD.C.やロサンゼルスなど、訪問先各地にて大歓迎を受けました。
昭和51年と61年には、御在位50年と御在位60年を記念する式典が行われました。
昭和天皇は、昭和62年9月22日、宮内庁病院にご入院され、腸の通過障害をなくすための手術をお受けになりました。
ご退院後は、ご公務の一部がおできになるまでにご快復になりましたが、翌年の昭和63年9月19日、再びご体調に異常をきたされ、ひたすらご療養にお努めになりましたが、十二指腸乳頭周囲腫瘍により昭和64年1月7日午前6時33分、吹上御所において崩御(御歳87歳)され、平成元年1月31日、昭和天皇と追号されました。
昭和天皇の大喪の礼は、国の儀式として、平成元年2月24日、新宿御苑において行われました。
また、同日の新宿御苑における葬場殿の儀と武蔵陵墓地内における陵所の儀を中心として、昭和天皇の大喪儀が皇室の行事として行われ、昭和天皇の陵名は、武蔵野陵と定められました。
昭和天皇のご著書
昭和天皇は、公務多忙の中、余暇をみては海洋生物や植物の分類研究を続けられ、ご著書も多数ご出版になられております。
日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科のClathrozonidaeのヒドロ虫類の検討 保育社
天草諸島のヒドロ虫類 保育社
カゴメウミヒドラClathrozoonm Wilsoni Spencerに関する追補 保育社
小笠原群島のヒドロゾア類 保育社
紅海アカバ湾産ヒドロ虫類5種 保育社
伊豆大島および新島のヒドロ虫類 保育社
パナマ湾産の新ヒドロ虫Hydractinia bayerin.sp.ベイヤーウミヒドラ(ウミヒドラ科) 保育社
相模湾産ヒドロ虫類 丸善
相模湾産ヒドロ虫類II(有鞘類) 丸善
昭和天皇記念館について
昭和天皇記念館は、昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として設置された東京都立川市にある国営昭和記念公園にある「花みどり文化センター」内に「昭和天皇・香淳皇后のご遺品を中心に保存及び展示を行い、昭和天皇のご生涯のご事蹟とご遺徳を偲び、皇室と国民の絆をより深く結びつける」ことを目的として設立され、緑を愛された昭和天皇の生物学ご研究や昭和天皇、香淳皇后のご遺品や写真等の昭和天皇ゆかりの資料を公開している展示施設である。
管理運営について
管理運営は公益財団法人昭和聖徳記念財団が行っている。
公益財団法人昭和聖徳記念財団公式ホームページはこちら
利用案内
3月1日より10月31日 午前9時~午後5時
11月1日より2月末日 午前9時~後4時30分
※ 入館は閉館の30分前
休館日:毎週月曜日
※ 月曜日が祝日の場合は直後の平日が休館日
年末年始(12/31・1/1)や展示の入れ替え期間中、国営昭和記念公園の施設点検日も休館
遵守事項
展示室内での撮影、模写、携帯電話での通話や電子メールの利用は一切禁止である
所在地
〒190-0014 東京都立川市緑町3173
交通機関
鉄道
JR中央本線・青梅線・南武線 立川駅北口から徒歩で約13分
西武拝島線 武蔵砂川駅より昭和記念公園砂川口からの入館も可能
モノレール
多摩都市モノレール線 立川北駅から徒歩で約11分
マップ
武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)について
武蔵陵墓地は東日本に初めて造られた天皇陵である。
昭和2年に大正天皇の墓所と将来の陵墓造営のために、御料地に周辺の民有地を買い上げて整備され、約46万平方メートルの広大な敷地がある。
敷地内には大正天皇の多摩陵や昭和天皇の武蔵野陵のほか、貞明皇后の多摩東陵、香淳皇后の武蔵野東陵がある。
御陵印について
武蔵野陵(昭和天皇陵)では第123代大正天皇(多摩陵)、第124代昭和天皇(武蔵野陵)の御陵印(寺社寺院でいわれる御朱印に該当する)をいただくことができる。
御陵印は多摩陵墓監区事務所に置いてあり、ご自身で押印することも可能であるだが、職員の方にお願いすれば押印していただける。
武蔵陵墓地へのアクセス
所在地
〒193-0824 東京都八王子市長房町1833
交通機関
電車
京王高尾駅・JR高尾駅から北口から徒歩約15分
バス
京王八王子駅・JR八王子駅北口から「館ヶ丘団地」行きバスで「御陵前」下車徒歩約15分