皇紀二千六百八十一年一月七日,昭和天皇崩御日に御聖徳をお偲び,昭和天皇武藏野陵に参拝

本日一月七日は昭和天皇しょうわてんのうが87歳で崩御ほうぎょされた日である。

我々正論社同士・同人は、武蔵陵墓地むさしりょうぼち(東京都八王子市長房町)にある武藏野陵むさしののみささぎに参拝させて頂いた。

武蔵陵墓地むさしりょうぼちは東日本に初めて造られた天皇陵てんのうりょうであり、敷地内には大正天皇の多摩陵やたまのみささぎ昭和天皇の武蔵野陵むさしののみささぎのほか、貞明皇后ていめいこうごう多摩東陵たまのひがしのみささぎ香淳皇后こうじゅんこうごう武蔵野東陵むさしののひがしのみささぎがある。

昭和天皇御祥月命日 武蔵野御陵参拝

第百二十四代天皇、在りし日の昭和天皇と香淳皇后 宮内庁

在りし日の昭和天皇と香淳皇后   宮内庁

昭和二十年、大東亜戦争終戦の後に詠まれた御製ぎょせい

 身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて

 

 爆撃に たふれゆく民の 上をおも いくさとめけり 身はいかならむとも

 

 国がらを ただ守らんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり

昭和天皇は敗戦時、ご自分の身を差し出す代わりに日本を守ろうとなさった。

戦後の御製ぎょせいでも

海の外の 陸に小島に のこる民の 上安かれと ただいのるなり

天皇の大御心は、常に民を慈しみ国民の安寧と繁栄を願われてこられた。

武蔵野陵で昭和天皇をしのぶ「昭和天皇祭」が行われ、武蔵野陵では、皇族代表として秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが参列されました。

この地は、万葉集に詠まれた「多麻の横山」の故地である。

赤駒を 山野に放がし 捕りかにて 多麻の横山 徒歩ゆか遣らむ

武蔵陵墓地正門と支那コロナ注意書き

武蔵陵墓地正門と支那コロナ注意書き

武蔵陵墓地中門の看板

武蔵陵墓地 中門の看板

武蔵陵墓地 案内図

武蔵陵墓地 案内図

武蔵陵墓地 緑豊かな「北山杉」と小粒の玉砂利が引かれた参道

武蔵陵墓地 緑豊かな「北山杉」と小粒の玉砂利が引かれた参道

武蔵陵墓地 左に武蔵野陵 右に武蔵野東陵

武蔵陵墓地 左に武蔵野陵 右に武蔵野東陵

武蔵野陵(むさしののみささぎ)について

武藏野陵むさしののみささぎは、1989年(昭和64年)1月7日に崩御された昭和天皇しょうわてんのうの陵である。

武藏野陵むさしののみささぎは平成元年1月17日に陵所地鎮祭が行なわれ、造営が始まり、同年2月24日に斂葬の儀れんそうのぎ(大喪の礼)が行なわれた。造営中の陵所に埋葬され、同月27日に「武蔵野陵むさしののみささぎ」と命名された。

なお、陵の命名に先立ち、昭和天皇の柩に添えられた陵誌(墓碑)には、礼宮文仁親王あやのみや ふみひとしんのう(後の秋篠宮文仁親王あきしののみや ふみひとしんのう)の揮毫きごうにより「昭和天皇 武蔵野陵 昭和六十四年一月七日午前六時三十三分崩御 平成元年二月二十四日斂葬」と刻まれている。
また、この昭和天皇陵の造営により、墓地の名称が「武蔵陵墓地むさしりょうぼち」と改称された。

武藏野陵の場所は大正天皇陵の北東に位置しており、ほぼ南面している。
陵の形態は大正天皇陵などと同じく、上部2段・下部3段の上円下方墳じょうえんかほうふんであり、陵の形や拝所の構成などは一般拝所に段がないことを除けば大正天皇陵とほぼ同じであるが、大正天皇陵より上円部の丸みがなだらかになり、また一般拝所から墳丘がある段までの高さが低く、威圧感を減らす試みがなされている。

毎年1月7日に陵および皇居宮中三殿で昭和天皇祭が行われている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれている。

武蔵陵墓地 昭和天皇武蔵野陵

武蔵陵墓地 昭和天皇武蔵野陵

武蔵陵墓地 昭和天皇武蔵野陵

武蔵陵墓地 昭和天皇武蔵野陵

武蔵陵墓地 武蔵野陵石標

武蔵陵墓地 武蔵野陵石標

皇紀二千六百八十一年一月七日,昭和天皇崩御日に御聖徳をお偲び,昭和天皇武藏野陵に参拝

武蔵陵墓地 武蔵野陵

多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)について

多摩東陵たまのひがしのみささぎは、1951年(昭和26年)5月17日に崩御された貞明皇后ていめいこうごうの陵である。

1951年(昭和26年)5月17日に崩御された貞明皇后は、6月22日に斂葬の儀れんそうのぎが行われ、陵所に埋葬された。

陵は大正天皇陵のほぼ東に位置し、そのため「多摩東陵」と命名されている。
陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。

毎年5月17日には陵および皇居宮中三殿で貞明皇后例祭が行われている。

武蔵陵墓地 香淳皇后武蔵野東陵

武蔵陵墓地 香淳皇后武蔵野東陵

武蔵陵墓地 武蔵野東陵石標

武蔵陵墓地 武蔵野東陵石標

武蔵陵墓地 多摩東陵の奥には多摩陵

武蔵陵墓地 多摩東陵の奥には多摩陵

多摩陵(たまのみささぎ)について

多摩陵たまのみささぎは1926年(大正15年)12月25日に崩御された大正天皇たいしょうてんのうみささぎである。

1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇は、翌1927年(昭和2年)2月7日に新宿御苑しんじゅくぎょえんにおいて斂葬の儀れんそうのぎ(葬場殿の儀、大葬)が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。
陵墓りょうぼは、前年10月に公布された皇室陵墓令に基づいて当時の東京府南多摩郡横山村から浅川村、元八王子村の御料地内に造営され、1月3日に日枝神社ひえじんじゃ宮司による陵所地鎮祭が行われた。

横山村の地が選ばれた理由は、地震を考慮して地盤が強いこと、万葉集に『赤駒を山野にはがし捕りかにて多麻の横山たまのよこやま徒歩ゆか遣らむ』と詠まれたことなどによる。また墳丘の型式などは明治天皇の伏見桃山陵ふしみのももやまのみささぎが参考にされた。
敷地内には数戸の農家や東照寺や長泉寺などの寺社、民間墓所などがあり、交渉をして移転が行われ、武蔵陵墓地および多摩陵が始まった。

陵域の面積は2,500平方メートルあり、陵の形態は上部2段・下部3段の上円下方墳じょうえんかほうふんで南面している。
上円は直径15メートルで高さは10.5mあり、一番下部の段は一辺27mの正方形で多摩川の石が葺き石として用いられており、南面は前方部の形をとっているので前方後円墳のような形をしており、奈良県桜井市の舒明天皇陵じょめいてんのうりょう段ノ塚古墳だんのづかこふん)の形状に酷似している。

鳥居を隔て陵の正面に皇族拝所があり、階段を下ったところには特別拝所がある。
特別拝所からさらに下ったところには一般拝所があり、皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。

毎年12月25日には陵および皇居宮中三殿で大正天皇例祭が行なわれている。

武蔵陵墓地 大正天皇多摩陵

武蔵陵墓地 大正天皇多摩陵

多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)について

多摩東陵たまのひがしのみささぎは、1951年(昭和26年)5月17日に崩御された貞明皇后ていめいこうごうの陵である。

1951年(昭和26年)5月17日に崩御された貞明皇后は、6月22日に斂葬の儀れんそうのぎが行われ、陵所に埋葬された。

陵は大正天皇陵のほぼ東に位置し、そのため「多摩東陵」と命名されている。
陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。

毎年5月17日には陵および皇居宮中三殿で貞明皇后例祭が行われている。

武蔵陵墓地 貞明皇后多摩東陵

武蔵陵墓地 貞明皇后多摩東陵

武蔵陵墓地 武蔵野東陵 石標

武蔵陵墓地 武蔵野東陵 石標

御陵印について

武蔵野陵(昭和天皇陵)では第123代大正天皇(多摩陵)、第124代昭和天皇(武蔵野陵)の御陵印(寺社寺院でいわれる御朱印に該当する)をいただくことができる。
御陵印は多摩陵墓監区事務所に置いてあり、ご自身で押印することも可能であるだが、職員の方にお願いすれば押印していただける。

昭和天皇と大正天皇の御陵印

昭和天皇と大正天皇の御陵印

 
 

武蔵陵墓地へのアクセス

武蔵陵墓地案内板

武蔵陵墓地案内板

所在地

〒193-0824 東京都八王子市長房町1833

交通機関

電車
京王高尾駅・JR高尾駅から北口から徒歩約15分

バス
京王八王子駅・JR八王子駅北口から「館ヶ丘団地」行きバスで「御陵前」下車徒歩約15分

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