支那コロナにより鬱々たる日々をどうお過ごしですか

「緑光祭」「武魂継承祭」中止に続き、「楠公祭」は?

イメージ 日本刀の切っ先

終日曇りの予報であったが初夏を思わせる晴れ間が見え過ごしやすい壱日とはなった。

しかし、コロナ禍による緊急事態宣言は益々地域を広げ猛威を振るっている。

「緑光祭」中止に続き、「武魂継承祭」も中止となった。緊急事態宣言区域ではない岐阜の「大夢祭」は斎行されたようで良かった。

 

靖国神社能楽堂にて執り行わている「武魂継承祭」の奉納演武は、昭和7年(1932)5月15日の「五・一五事件」で犠牲になられた犬養毅命・田中五郎命や事件関係者全て御霊の鎮魂たましずめと決起された五一五烈士の意義を継承し歴史を風化させない為、そして靖国にしずまる国の為に尊い犠牲となられたご二百四十六万六千余柱英霊の御霊に尊崇の念をもって慎んで哀悼の誠と感謝の真心を籠めて鍛錬の成果を奉納する崇高な武の催しである。

大地社の方々は、「五・一五事件」計画立案・現場指揮をしたリーダーであられた不二流体術創始者の古賀不二人先生の魂を継承し、「武道は大和魂に通ず」の精神で日頃の鍛練と愛国運動に挺身されている。

「五・一五事件」 

昭和4年、ニューヨークの株式相場が大暴落し世界恐慌が始まり、その衝撃波は日本をも巻き込み「昭和恐慌」と呼ばれる大不況に陥った。それに加えあいつぐ凶作で飢餓に苦しむ貧しい農村で娘たちの身売りが日常化し、都市下層労働者も仕事を失い混迷を極めた時代であった。一方財閥は富を誇り、貧困にあえぐ民の膏血を搾るが如き悪辣ぶりであった。事件直前の2月・3月には血盟団による前蔵相・井上準之助、三井財閥の團琢磨射殺事件が起き、遂に青年将校たちが決起したのであった。

 

来年こそは、支那コロナウィルス禍が終息し、様々な顕彰祭や講演が開催挙行出来る事を祈念し筆を置く。

大墓公阿弖利爲の末裔