尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭 皇紀二千六百八十年

天なるや秋のこだまかとこしへに
愛宕のやまの雄たけびのこゑ
                       三浦義一翁「悲天」より  

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年

令和2年8月22日午後5時より、芝・愛宕山山頂に鎮守する愛宕神社境内の顕彰碑前において、尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭が厳かに敢行された。

慰霊祭を主催する尊攘義軍顕彰会は、犬塚博英議長が務め、顧問に山口申先生が名を連ねている。

本年は昨今のコロナ禍の社会事情を鑑み例年のような告知は行われなかったが、多くの同志が参集した。

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年

尊攘義軍・殉皇十二烈士女御遺影

尊攘義軍・殉皇十二烈士女 御遺影

尊攘義軍・殉皇十二烈士女慰霊碑

尊攘義軍・殉皇十二烈士女慰霊碑

弔魂碑の碑文

昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ

転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応

天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士

しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す

時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ

二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ

忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず

自決の時間である6時に黙祷を捧げ、参列者たちは尊攘義軍誓願詞『尊皇絶対・生命奉還・神州恢復・朝敵撃滅』を唱和、陛下の万歳を三唱し散会となった。

尊攘義軍誓願詞
尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅
尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭 尊攘義軍顕彰会代表・犬塚博英先生

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭 尊攘義軍顕彰会代表・犬塚博英先生

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭 ご尊父が特高警察で愛宕山事件の担当だあった大西さん

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年祭 ご尊父が特高警察で愛宕山事件の担当であった大西さん

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年 遠路鹿児島より上京された中村武彦先生の御令嬢ご夫妻

尊攘義軍・12烈士女弔魂75年 遠路鹿児島より上京された中村武彦先生の御令嬢ご夫妻

愛宕山事件とは

愛宕山事件(あたごやまじけん)は、昭和20年8月15日東京都港区(旧地名は芝区)の愛宕山において尊攘同志会飯島与志雄ら12名が降伏終戦に反対して篭城した事件である。

降伏に反対し徹底抗戦を主張していた尊攘同志会は、昭和20年8月16日から17日にかけて木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城した。
特高が解散の説得を試みるも、愛宕山に篭城した尊攘同志会10名は、昭和20年8月22日午後6時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決。
事件から明けて5日後である昭和20年8月27日、尊攘同志会自決現場において夫のあとを追うように夫人2名が自決した。

愛宕神社について

愛宕神社は自然の山である愛宕山(標高26m)山頂にある

愛宕神社は自然の山である愛宕山(標高26m)山頂にある

主祭神は、火産霊命(ほむすびのみこと)。

1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建した。

三代将軍徳川家光が、増上寺ご参詣の帰りに愛宕神社の下を通り山上の梅を目にし 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜたが、だれもが臆していたその時、丸亀藩の家臣で曲垣平九郎が見事男坂を登り面目を施したのである。

桜田門外の変に於いては、水戸浪士らがここに集合し祈願した後、雪の舞う中江戸城に向かい、大老井伊直弼を討ち8年後に明治維新の大業がなされたのである。

また、江戸城開城に当っては、愛宕山の上から西郷隆盛と勝海舟が市内を眺め会談した地でもある。

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社の灯篭

愛宕神社の灯篭

所在地

東京都港区愛宕1丁目5番3号

アクセス

電車
JR「新橋駅」より徒歩20分

東京メトロ日比谷線「神谷町駅」より徒歩5分
東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」より徒歩8分
都営三田線「御成門駅」より徒歩8分

バス

都営バス 渋88(東京駅八重洲口~渋谷駅)「虎ノ門三丁目」下車
東急バス 東98(東京駅南口~等々力)「愛宕山下」下車

愛宕山を望む

愛宕山を望む

愛宕山エレベーター乗場

愛宕山エレベーター乗場

アクセスマップ

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。