国賊・赤色朝日新聞を討て! 其の十壱

50年前の国賊・広岡知男朝日新聞社社長(当時)は、中華人民共和国(支那共産党政府)の意向に沿わない記事を書くべきでないことを公言していた!

国賊朝日新聞社旗

国賊朝日新聞社旗

文革前後時代の支那は、「軍国主義が日本に復活しつつあり、再び東アジア侵略の計画を練っている」と妄想的な笑える主張を繰り広げていた。
朝日の社長(天下の国賊)広岡は「文化大革命虐殺」の実情を隠し、「日本はまだ戦争の被害を受けた中国の人々への陳謝の形さえも取っていない」「日本と中国の間には、理論的にはまだ戦争終結の処理さえできていない」と何処の国の人間かと思える発言を繰り返し、支那政府の発表を盲信というよりは積極的に走狗と成り果て、歴史の真実をゆがめる謝罪報道に終始していた。
この時期の支那では、日本を含め自由主義圏のマスコミは朝日新聞以外は全て国外追放になっていた。
常に支那政府にすり寄ってきた朝日新聞だから、文革時にただ一社北京に支局を置き続けられたのである。
その事象に対し広岡は「報道の自由がなくても(・・・中略・・・)日本から記者を送るということに意味がある」と強弁しているのだから呆れるばかりだ。

1970年10月21日、日本新聞協会主催の研究座談会『あすの新聞』の席上、広岡知男朝日新聞社社長は、中華人民共和国(支那共産党政府)の意向に沿わない記事を書くべきでないことを公言していた。

1億に近い民衆が犠牲となった「文化大革命」

55年前、今でも支那を呪縛する、凄惨な暴力革命「文化大革命」が起こった。1965年11月10日、毛沢東の妻であった江青が画策し、上海の日刊新聞「文匯報(ぶんわいほう)」に「新編歴史劇『海瑞の免官』を評す」という文章を発表させて当時の北京副市長を批判したことから始まった。翌年8月から紅衛兵延べ1000万人が続々北京に上京し、11月には狂気の民衆暴力革命は最高潮に達したのであった。
毛沢東の暴力による政権奪還運動により、紅衛兵という破壊と殺戮の集団を生んだ。そして毛沢東にも制御できないモンスターとなり下がった紅衛兵により、伝統文化や人の心を破壊し尽くした結果、国家的大騒乱と数十年に及ぶ停滞を生んだのである。

天安門広場で毛主席語録を掲げる紅衛兵

天安門広場で毛主席語録を掲げる紅衛兵

中の林彪事件を隠蔽した国賊朝日

林彪は文革初期、「毛沢東個人崇拝」偉大統帥」と唱え一挙に台頭した。
林彪派・四人組(陳伯達・康生・江青・張春橋)・周恩来派の三つで構成され、毛沢東はこのバランスの上に絶対的権威を打ち立てた。
そして、1969年の第9回支那共産党全国代表大会で毛沢東の後継者「親密な戦友」として輝かしい戦歴を誇った軍事戦術に優れた革命軍人「十大元帥」林彪が公式に認定されたのであったが・・・

総理周恩来は林と四人組両派の矛盾を激化させ、最初に林派を叩き潰す戦術をとった。そして毛のソ連嫌いを利用し
毛沢東に林彪を追い詰めさせた。
文化大革命のさなか、支那では毛沢東対林彪の大権力闘争が起きていた。
1971年9月、中華人民共和国の南部を視察中の毛沢東が林彪らを批判。
1971年10月1日の国慶節パレードが突然中止され、人民日報の紙上にも林彪の名が現れなくなった。
そして「9・13事件」が起きた。林彪一族が警備隊の阻止を突破して車で軍用空港へ狂奔し国境を越えた日が9月13日であり、緊急着陸失敗で死亡するという結末の「歴史が動いた」事変であった。
毛沢東暗殺のクーデターに失敗し、飛行機でソ連に逃げる途中、モンゴルで墜落死したとされた。
林彪夫妻の敵国への亡命は、「死せる副統帥,生ける統帥を走らす」とも言える程、毛沢東に建国後の最大のダメージを与えた。心身の衰弱で翌年2月12日に一時危篤に陥り精彩を欠く不調は物故まで続いた。
毛の逝去直後に華国鋒主席主導の「宮廷政変」で江青等の極左「4人組」は逮捕され失脚した。

支那民衆にとっても林彪失脚は寝耳に水の衝撃であったであろう。支那共産党・文革への不信感は、毛沢東を神の如く崇め無謬性を疑わない信仰心まで揺らがせてしまった。
一気に盲信と愚昧から目覚め、何故「売国賊」林彪が当初毛沢東の後継者に成ったのかと国民的な不審が涌き不信に発展したが、支那共産党の強靭な支配体制を揺るがすまでには至らなかった。

情報が漏れない中、憶測で「何か重大な政変勃発」や「毛沢東重病説」が飛び交った。唯一残っていた朝日の北京特派員の秋岡家栄記者が「新しい祝賀形式に変わったのではないか」(1971年9月27日)と政変がなかった偽装記事を書くといった卑劣な報道姿勢はもうお家芸であった。
1971年11月25日でも「流説(林彪死亡)とは食違い」毛沢東と林彪が並ぶ大きな写真が税関に掲げられていたことを根拠に、「林彪失脚に疑問を問う」と偽装記事は続けていたのだ。
複数のメデイアが林彪失脚の可能性を報じても、恥知らずどもは、林彪健在を示唆する報道さえしていた。
支那政府が許さない報道はポチ朝日もしないので、72年に支那の新華社通信が報じてから、ようやく初めて「林彪死亡」を報じた。このマスメディアと呼べない新聞社は戦前から腐敗と欺瞞のDNAは浄化することなく現在でも脈々と生きている。
国賊・赤色朝日新聞は会社法人最早解体以外道はない!

大墓公阿弖利爲の末裔 

 

国賊・赤色朝日新聞を討て! 其の十  赤色支那のスピーカーとなった真の国賊「本多勝一」。
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