国賊・赤色朝日新聞を討て! 其の九

ソビエト・北朝鮮の次は、赤色支那の走狗となった恥知らずの国賊・赤色朝日

国賊朝日新聞社旗

国賊朝日新聞社旗

※1967年-70年 支那政府当局が朝日新聞を除く全ての報道関係者を追放。
文化大革命で狂乱状態にあった支那政府当局は、支那政府提灯記事以外の記事を書くあらゆる報道関係者を「外国反動分子」と決めつけ支那大陸から追放した。
1967年09月 産経、毎日の記者が追放。
1967年10月 読売記者が追放。
1968年06月 日経記者鮫島特派員がスパイ容疑で逮捕され拘留。
1968年11月 滞在期間が切れて帰国したNHK記者が入国不許可に
1970年09月 共同通信特派員が追放。
こうして北京駐留の日本マスコミは赤色朝日新聞の記者のみとなった。

そしてその残留優遇措置に対する御礼なのか?魂を売り渡したのか・・・

1970.04.22 一面に堂々と中国訪問記

1970.04.22 一面に堂々と中国訪問記

1970年10月21日 広岡知男社長が新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言。 赤色ソビエト派と赤色支那派の社会主義者たちが日本の大新聞を乗っ取ろうとする泥沼の場と化していた事実を忘れてはいけない。

 

大墓公阿弖利爲の末裔