国事に殉じた犠牲的愛国心 来島恒喜烈士の墓参

天下の 諤々は君が一撃に若かず」 頭山満翁弔辞
「目的を達して現場で死ぬ……何と武士として美はしい覚悟では無いか。来島の最後は、彼赤穂義士の最後よりも秀れて居る。豪い。たしかに豪い。」こう褒め称えたのは、爆裂弾により片足を失った、他ならぬ大隈重信公自身である。

大隈重信の条約改正案に反対し、爆弾を投じて右足切断の重傷を負わせた 爆弾炸裂と同時に短刀で自害した玄洋社の来島恒樹烈士

玄洋社の来島恒樹烈士

歴史上、暗殺や討死によって最期を遂げた有名な人物は数多く存在する。ユリウス・カエサル(シーザー)やケネディ大統領。日本でも源実朝、織田信長、井伊直弼、佐久間象山、坂本龍馬・・・その暗殺者たちで武士道の誉れを全うしたものは少ない。
大隈公は赤穂義士や島田一郎と来島の最後を比べ褒めている。
赤穂義士は不倶戴天の仇たる吉良の首級を挙げたる直に、何故吉良邸で割腹しなかつたのか、大久保利通を斃した島田一郎を非凡の豪傑であったが、縲紲の辱めを受けて刑場の露と消えるという見苦しい最後となったのは、現場で腹を掻き切らなかった為だと評している。

安政6(1859)年12月30日、筑前福岡藩士・来島又右衛門の二男として生を受ける。
頭山満翁を筆頭に玄洋社の主要なメンバーを育てた男装の女傑・高場乱の興志塾に入門し志士の精神を培った。
興亜の先駆者・副島種臣や山岡鉄舟に薫陶を受け人格を磨き、中江兆民に仏語を学んだ後,頭山満翁率いる玄洋社に参加する。
明治21年(1888年)大隈重信外務大臣が条約改正交渉を進めたが、改正案で「外国人被告事件で大審院に外国人裁判官を任用する」ことを定めていた事に、玄洋社をはじめ国権党等の愛国団体や大同倶楽部・大同協和会・貴族院の保守中正派といった保守政党に加え新聞「日本」「東京新報」雑誌「日本人(日本及日本人の前身)」が猛烈な反対行動に出た。
来島烈士は大隈を暗殺するべく、明治22年10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車ごと爆弾を投げつけ、右足切断の重傷を負わせた。来島烈士は爆弾が炸裂すると同時に、短刀で喉を突き自害した。享年二十九であった。
そして来島烈士の一撃により条約改正は中止になった。
テロルの被害者であった大隈が「爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。」と語っている。
明治という時代は軍人や右翼だけでなく、政治家も偉かったとつくづく思う。
 

大墓公阿弖利爲の末裔

2020.10.18 来島恒樹墓参

2020.10.18 来島恒樹墓参 谷中霊園乙10号17側

2020.10.18 来島恒樹墓参

2020.10.18 来島恒樹墓参 揮毫は頭山満翁

2020.10.18 来島恒樹墓参 墓石裏の経歴記録

2020.10.18 来島恒樹墓参 墓石裏の経歴記録

2020.10.18 来島恒樹墓参 勝海舟が建てた墓石

2020.10.18 来島恒樹墓参 勝海舟が建てた墓石

2020.10.18 来島恒樹墓参 勝海舟が建てた墓石

2020.10.18 来島恒樹墓参 勝海舟が建てた墓石

※的野半助氏著『来島恒喜』
「来島恒喜が自刃するや、東京埋葬と郷里埋葬との両説ありしが、終に両説を採りて之を東京、福岡に葬ることと爲れり。初め恒喜の遺骸は、翌暁(午前三時)麹町区役所に於て假にこれを青山共同墓地に埋葬せしが、青山龍泉寺に於て弔祭の典を挙げ・・・ 遺髪は谷中共同墓地に葬れり。会葬者三百名。東京では官憲を憚って質素にした。 一周年忌に、頭山満自ら資を投じて墓石を建つ。勝海舟これに題して「来島恒喜之墓」と曰ふ。蓋し頭山は来島恒喜が海舟の教えを受けたことありしを以て海舟の揮毫を乞いしなりという」と書かれている。

※諤々(がくがく)

2020.10.18 来島恒樹墓参

2020.10.18 来島恒樹墓参

2020.10.18 来島恒樹墓参

2020.10.18 来島恒樹墓参

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。