三島由紀夫烈士四十九年祭 

三島由紀夫大人命

 

森田 必勝大人命

四十九年祭

平岡家墓所四十九年祭当日

平岡家墓所四十九年祭当日

三島森田事務所主催の四十九祭祭壇

三島森田事務所主催の四十九祭祭壇

三島森田事務所主催の四十九祭

三島森田事務所主催の四十九祭

三島森田事務所主催の四十九祭玉串奉奠

三島森田事務所主催の四十九祭玉串奉奠

三島森田事務所主催の四十九祭記念撮影

三島森田事務所主催の四十九祭記念撮影

昭和四十五年十一月二十五日市ヶ谷台上にて、三島由紀夫・森田必勝両烈士が壮烈なる諌死を遂げられてから、本年で四十九年となる。

皆さんもご存知であろうが三島由紀夫大人命の本名は平岡公威であり「三島由紀夫」はペンネームである。執筆名は師であった国文学者の清水文雄が富士の裾野の三島と富士の高嶺の雪から名付けたと言われているが、東宮殿下の御教育案作りにも参加された尊皇家であり國體の本義も、歴代御聖徳にも、敷島の道にも精通しておられた清水先生が果たしてそんな単純に名付けたものか?

想像を膨らませ三島を音読みし「サントウ」と読んでみた。

古代中国の伝説にある東方の彼方にあるといわれた理想郷「三島」。

蓬莱・瀛州(えいしゅう)・方丈と呼ばれた「三島」には、不老不死の薬と仙人たちが住む神山があったとされる。蓬莱の神山は「富士山」の事とされている。「三島伝説」に繋がる夏も雪が残る霊峰「富士山」は、日本人にとって心のふるさとであり、神のいます神聖なる地でもある。その富士山は、明治の俳人「内藤鳴雪 」が読んだ句「元日や一系の天子不二の山」の如く萬世一系皇尊弥栄・日本精神の象徴でもある。

「三島由紀夫」という名称には天皇弥栄の思いが込められていたのではないであろうか・・・

三島森田事務所主催の四十九祭直会

三島森田事務所主催の四十九祭直会 原田祭主からのお話

平岡家墓所 布村幹事長

平岡家墓所 布村幹事長

 

 

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。