お盆の先師寺社巡り 皇紀二千六百八十年 令和弐年八月 其の壱

今年もお盆の墓所巡りをし、清掃とお参りを行いました

弊会では、世に埋もれた真の国士・愛国者の先人に対する顕彰とその魂に感謝の誠を捧げる為、毎年墓所の清掃とお参りを行っております。
浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺

●宝林寺 浄土真宗本願寺派寺院 練馬区谷原6-8-25
宝林寺の創建年代は不詳。僧林西(明暦年間没)が日本橋浜町に創建、明暦の大火(1657)に築地本願寺寺内へ移転し、関東大震災後練馬の地に移転し現在に至る。

吉村法俊翁(昭和維新連盟最高顧問)
 山口乙矢烈士を指導し、辞世の句も吉村翁が贈ったものである。
(山口二矢烈士に贈った辞世の句)
 国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に
 大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 吉村法俊先生の墓所

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 吉村法俊先生の墓所

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 吉村法俊先生の墓所拝礼

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 吉村法俊先生の墓所拝礼

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 吉村法俊先生の墓石 建立者、昭和維新連盟薗田三代目・板坂征夫四代目・同じく西山門下の柳澤伸三氏の名が記されている

吉村法俊先生の墓石 建立者、昭和維新連盟薗田三代目・板坂征夫四代目・同じく西山門下の柳澤伸三氏の名が記されている

薗田新先生(昭和維新連盟三代目会長)
浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 薗田新先生の墓所

浄土真宗本願寺派寺院 薗田新先生の墓所

薗田先生は、先日急逝した梁瀬幸裕君の実父でもある。

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 昭和維新連盟薗田新三代目

浄土真宗本願寺派寺院 宝林寺 昭和維新連盟薗田新三代目

●曹洞宗諏訪山 吉祥寺 文京区本駒込3-19-17
西山廣喜先生(財団法人日本政治文化研究所・昭和維新連盟盟主・大和新聞社主・日本及び日本人社社主)

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺 西山廣喜先生拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  西山廣喜先生墓所

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  西山廣喜先生墓所

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  西山巌先生墓所拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  御舎弟 西山巌先生墓所拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  西山巌先生墓所拝礼

曹洞宗諏訪山 吉祥寺  西山巌先生墓所拝礼

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 千代田区三番町

千鳥ヶ淵戦没者墓苑標石

千鳥ヶ淵戦没者墓苑標石

大東亜戦争では、アジア・太平洋の広範な地域で苛烈な戦闘が展開された。そして海外の戦場 において多くの将兵が戦没された。昭和28年より海外の遺骨収集が開始され、お名前の判らない戦没者のご遺骨を納骨室に納め「無名戦没者の墓」とした。

この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑である。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑表看板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑表看板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑標石と案内板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑標石と案内板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑解説

千鳥ヶ淵戦没者墓苑解説板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 前屋

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 前屋

千鳥ヶ淵戦没者墓苑  六角堂の中央に置かれた胸棺の下には地下納骨室がある

千鳥ヶ淵戦没者墓苑  六角堂の中央に置かれた胸棺の下には地下納骨室がある

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂の陶棺 献花台で献花

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂の陶棺 献花台で献花

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂の陶棺と献花台

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂の陶棺と献花台

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 六角堂

昭和天皇陛下御製碑
くにのため いのちささげしひとびとの ことをおもへば むねせまりくる

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 昭和天皇陛下御製の歌碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 昭和天皇陛下御製の歌碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 昭和天皇陛下御製の歌碑案内板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 昭和天皇陛下御製の歌碑案内板

上皇陛下御製碑
戦なき 世を歩みきて 思ひ出ず かの難き日を 生きし人々

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 上皇陛下御製の歌碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 上皇陛下御製の歌碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 上皇陛下御製の歌碑案内板

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 上皇陛下御製の歌碑案内板

戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑解説版

千鳥ヶ淵戦没者墓苑戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑解説版

終戦後、外地から祖国に引揚げてきた人々は約320万人にも及んだが、心労と疲労困憊の極限状態にあった20万人あまりの人々が引揚げの途中祖国を前にして無念の思いの中で命を落とされた。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 平和記念碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 平和記念碑

信義を持たない赤色ソビエトが「日ソ相互不可侵条約」という国際法を一方的に破り満州・樺太・千島列島に軍事侵攻し、57万5千人もの軍人軍属および民間の日本人をシベリアや中央アジアなどに強制抑留した。強制収容所に閉じ込め鉄道建設や森林伐採などの過酷な重労働で奴隷の如く酷使され5万5千人の尊い命が奪われたのである。
この悲惨な事実を風化させずに後世に伝えるとともに、犠牲となった人々への哀悼の意と恒久の平和を祈念して建立されたのである。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 追悼慰霊碑

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 追悼慰霊碑

●東京青山霊園 港区南青山二丁目32番2号

東京青山霊園 三浦義一翁墓所

東京青山霊園 三浦義一翁墓所

三浦義一翁墓所

昭和期の国家主義者・歌人で西山廣喜先生の師。“室町将軍”の異名をとった。

東京青山霊園 三浦義一翁墓所

東京青山霊園 三浦義一翁墓所

頭山満翁墓所 警視庁墓地エリア

東京青山霊園 頭山満翁墓所

東京青山霊園 頭山満翁墓所

明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。

東京青山霊園 頭山満翁墓所

東京青山霊園 頭山満翁墓所

東京青山霊園 頭山秀三先生墓所

東京青山霊園 頭山秀三先生墓所

頭山秀三先生
東亜民族の提携と武道精神の高揚をかかげて天行会を結成。大政翼賛会参与。三代目当主となった立國氏は秀三の次男。三島由紀夫の名作「豊饒の海」の第2巻「奔馬」の主人公のモデルといわれている。

東京青山霊園 頭山満翁墓所

東京青山霊園 この日は警視庁の若い隊員が清掃に来ていた。

東京青山霊園 警視庁墓地

東京青山霊園 警視庁墓地

●長青山 寶樹寺 梅窓院 港区南青山2丁目26-38

長青山 寶樹寺 梅窓院

長青山 寶樹寺 梅窓院

寺号は家康公以来の譜代の臣、老中青山幸成公の法名「梅窓院殿香譽浄薫大禅定門」と、側室の法名 「長青院殿天譽利白大姉」 から付けられたという。梅窓院の御本尊の阿弥陀仏は山の手六阿弥陀の一つとして信奉されている。浅草寺を一番として目黒不動瀧泉寺を満願とする江戸三十三観音の第24番札所、山の手六阿弥陀の一つとして知られている。

大日本愛国党 筆保泰禎先生墓所 愛国の魂

長青山 梅窓院 筆保泰禎先生墓所

長青山 梅窓院 筆保泰禎先生墓所

大日本愛国党筆保泰禎書記長は、運動逮捕歴81回という猛者であった。先生は「核兵器不拡散条約批准」反対を訴え、自殺勧告書も持って三木首相に正義の鉄槌を下された国士であった。
赤尾敏先生の養女であった道子夫人と共にこの青山の地に眠られている。

長青山 梅窓院 筆保泰禎先生墓所拝礼

長青山 梅窓院 筆保泰禎先生墓所拝礼

山口二矢烈士の眠る山口家墓所

長青山 寶樹寺 梅窓院 山口二矢烈士の眠る山口家墓所

長青山 寶樹寺 梅窓院 山口二矢烈士の眠る山口家墓所

今回は、敬愛する葦津珍彦翁の言葉を転載させていただく。
警視庁の取調べにさいして、山口少年が語ったところによれば、かれが浅沼刺殺を決意したのは、刺殺に用いた短刀を入手した時から約十日間、独りで考えぬいた後の結果だといわれる。この十日の間に、少年はしばしば明治神宮に参り、時には終日、神宮の神域で考えぬいた日もあったという。この間、かれの神宮参拝は、四、五日に及んでいる。もとよりかれは神宮の神主には会いもせず話もしなかった。けれどもかれが熱心に明治神宮の神明に祈ったという事実、しかして浅沼氏を刺殺し、然るのちに自らの生命を絶つとの決断を下したのが神宮の神苑だった事実だけは、明らかとなっている。神道的ジャーナリストとして、この事実だけからでも、私は山口事件に対して無関心ではおられない。(「土民のことば─信頼と忠誠との情理─」の中の「神苑の決意─政治とテロとの宿縁─」より)

長青山 寶樹寺 梅窓院 山口二矢烈士の眠る山口家墓の裏に父晋平氏による霊標の記が

長青山 寶樹寺 梅窓院 山口二矢烈士の眠る山口家墓の裏に父晋平氏による霊標の記が

●大東塾十四烈士碑 代々木公園 渋谷区代々木神園町2-1

大東塾十四烈士碑 

大東塾十四烈士碑

大東塾十四烈士碑 

大東塾十四烈士碑

大東塾十四烈士碑 

大東塾十四烈士碑

大東塾十四烈士 墓銘碑 

大東塾十四烈士 墓銘碑

大東塾十四烈士碑

大東塾十四烈士碑

二十五日に古式に則つた割腹に依つて集團自決を遂げてゐる。
(十四烈士共同遺書)
清く捧ぐる吾等十四の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ
(影山庄平翁辞世歌)
こんとんをひらきて今や大地の始発の時と祈り行くなり
うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あかるとき

大東塾十四烈士碑

大東塾十四烈士碑

●二・二六事件慰霊碑 渋谷区 宇田川町1-1

二・二六事件慰霊碑

二・二六事件慰霊碑

二・二六事件慰霊碑

二・二六事件慰霊碑

世界大恐慌の煽りを受けた日本も深刻な不景気(昭和恐慌)が引き起り、企業は次々と倒産し失業者であふれ、農村も農作物価格の下落により「豊作飢饉」が生じた。その後豊作から一転、「東北・北海道大凶」作となり、兵の多く実家が貧窮のあまり欠食児童や女子の身売りとなる悲劇が起こった。しかし政府政治家は汚職が続発し、社稷を憂う心を捨てた財閥は利益追求に狂奔し、当時の日本は暗雲漂う国難の時代であった。
昭和11年(1936)2月26日、北一輝らの影響を受けた天皇親政の下での昭和維新を目指す皇道派の陸軍青年将校が兵約1,500名を率い起こしたクーデター未遂事件。
斉藤実前首相(内大臣)・高橋是清蔵相(元首相)・渡辺錠太郎陸軍教育総監等9名が犠牲となった。

二・二六事件慰霊碑拝礼

二・二六事件慰霊碑拝礼

二・二六事件慰霊碑拝礼

二・二六事件慰霊碑拝礼

●世田谷山観音寺(特攻平和観音堂) 東京都世田谷区下馬4丁目9−4

世田谷山観音寺 仁王門

世田谷山観音寺 仁王門

世田谷山観音寺 観音堂(本堂)

世田谷山観音寺 観音堂(本堂) 左奥が特攻平和観音堂

世田谷山観音寺 観音堂(本堂)

世田谷山観音寺 観音堂(本堂)

世田谷山観音寺 特攻平和観音堂

世田谷山観音寺 特攻平和観音堂

世田谷山観音寺 特攻観音堂の扁額

世田谷山観音寺 特攻観音堂の扁額

特攻観音堂は、国のため若き命を捧げた特攻隊員四千六百十五柱の英霊を祀っている。

世田谷山観音寺 神州不滅特別攻撃隊之碑と天山隊之碑

世田谷山観音寺 神州不滅特別攻撃隊之碑と天山隊之碑

・神州不滅特別攻撃隊之碑
昭和20年8月19日、満州国に展開していた日本陸軍(関東軍)の神州不滅特別攻撃隊がソ連軍の機甲部隊の戦車群に突入し自爆するという壮絶な攻撃が行われた。
・天山隊之碑
沖縄作戦がもっとも熾烈だった昭和二十年初夏の五月二十五日、九三一海軍航空部隊の天山艦攻機隊は特攻出撃した。

世田谷山観音寺 神州不滅特別攻撃隊之碑

世田谷山観音寺 神州不滅特別攻撃隊之碑

世田谷山観音寺 金閣寺を模した三層の阿弥陀堂

世田谷山観音寺 金閣寺を模した三層の阿弥陀堂

世田谷山観音寺 六角堂(不動堂)

世田谷山観音寺 六角堂(不動堂)

世田谷山観音寺 あゝ特攻勇士之像

世田谷山観音寺 あゝ特攻勇士之像

世田谷山観音寺 さざれ石

世田谷山観音寺 さざれ石

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。