祥月御命日【西山広喜先生】令和3年2月24日

 

本日2月24日は、西山広喜先生祥月ご命日である。

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

2021.02.24西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

西山廣喜先生墓参

我々正論社は、西山先生の菩提寺である曹洞宗諏訪山吉祥寺へ参拝し、活動を報告させいていただいた。

西山家墓所

御舎弟 西山巌先生墓所

西山巌先生墓参

西山巌先生墓参

西山廣喜先生について

西山廣喜(にしやま こうき)
1923年 ~ 2005年2月24日(享年81歳)

昭和維新連盟盟主、西山広喜事務所代表、財団法人日本政治文化研究所理事長、国粋主義雑誌「日本及日本人」社主、昭和の時代までは民族系新聞で唯一の日刊紙であった「やまと新聞」社主。

財団法人日本政治文化研究所は、近衛文麿このえ ふみまろが創設した昭和研究会を前身とする。所在地は日比谷公園を望む富国生命ビルにあった。

西山広喜先生と柴田会長

西山広喜先生と先代柴田会長

曹洞宗諏訪山吉祥寺

吉祥寺きちじょうじは、曹洞宗の寺院で山号は諏訪山。
群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺にあたる。

吉祥寺は、学業成就・縁結びの寺と呼ばれ、訪れる参詣者が多い。

室町時代1458年(長禄2年)に太田持資(太田道灌)の開基で江戸城内に青巌周陽を開山に招いて創建した。道灌は、江戸城築城に際し和田倉付近の井戸を掘ったところ「吉祥増上」と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に吉祥庵を建立した。 山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによる。

戦国時代には古河公方足利義氏の実母で北条氏綱の娘でもある芳春院の位牌が安置されていたという。

徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校の周辺)に移り、明暦3年(1657)明暦の大火によって現在の駒込の地に移転した。
関東における曹洞宗の宗門随一の旃檀林せんだんりんがおかれ、多くの学僧が学んだ。
旃檀林は、後の駒澤大学となる学寮で、幕府の学問所昌平黌しょうへいこうと並んで漢学の一大研究地となった。

戦前までは大伽藍を誇ったが、大東亜戦争の空襲によって蔵と山門以外のほとんどが焼失し、今日では山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)だけが往時をしのばせている。

吉祥寺山門

吉祥寺山門

駒込吉祥寺町由来

駒込吉祥寺町由来

曹洞宗諏訪山吉祥寺由来

曹洞宗諏訪山吉祥寺由来

にゃんこ
武蔵野市にある吉祥寺の地名は、明暦の大火で当寺の門前町の住民が住居を失い、五日市街道沿いの現在地に移住し、開墾したことに由来する。

重要文化財

絹本著色翠竹図けんぽん ちゃくしょく すいちくぞう 顧安Gu An筆(中国元時代)

絹本著色翠竹図は、元時代の中国人画家顧安Gu An作品で1982年(昭和57年)に重要文化財として指定される。

顧安は元時代の有名な中国人画家で、特に風に揺れる竹に秀でていた。 淮東(現江蘇省こうそ しょう昆山こんざん)生まれ(1295年頃~1375年頃)。

画面下辺に太湖石を横たえ、その傍に数本の竹を描いた竹石図の一例である。竹は墨線で鉤勒して緑色を賦し、葉先や節々の間に褐色を暈すように施し、太湖石は墨の濃淡で凹凸を表し、土坡には軽く皴擦を加えている。筆者の顧安は呉の人で、生卒年は一二九五年~一三七五年頃と推定されており、地方官を歴任しているが、画竹では早くから盛名があった。顧安の画竹は写生的表現を重視している点に特色があり、その遺品には墨画が五点ほど知られるほかは本図が稀な例である。特に本図は、墨戯の画竹以前の画竹の古い伝統を継承していることを示唆するようであり注目される。

出典:国指定文化財等データベース(文化庁)

刀 無銘 伝 国行かたな むめい でん くにゆき

刀 無銘 伝 国行は、鎌倉時代の作品で1952年(昭和27年)に重要文化財として指定される。
来派の実質的な祖である国行は、鎌倉時代中期の刀工で生没年不詳。
現存作は太刀が多く、短刀はほとんど見かけない。銘字は「国行」2字に切り、「来」字を冠しない。

山門

文京区界隈は寺院が多いことで有名であるが、群を抜いて大きな山門をもつ門構えの吉祥寺は感動と驚きを感じる。

2020年西山廣喜先生祥月命日墓参 吉祥寺の山門

吉祥寺山門前

曹洞宗諏訪山吉祥寺山門

曹洞宗諏訪山吉祥寺山門

山門をくぐると、都会とは思えない静粛さと安堵感につつまれながら参道を進んでいく自分に気づく。

参道

参道

茗荷稲荷大権現

参道の途中、左手に境内社の茗荷稲荷大権現みょうがいなりだいごんげんがある。
徳川家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚にあった茗荷権現(茗荷稲荷大権現)は、疫病に御利益があるとされており、この時に合わせて祀られたものだそうだ。

茗荷稲荷大権現

茗荷稲荷大権現

茗荷稲荷縁起

茗荷稲荷縁起

花供養塔

比翼塚隣にある花供養塔(昭和43年建立)は、駒込生花市場が建立したものである。

花供養塔

花供養塔

八百屋お七・吉三郎の比翼塚ひよくづか

八百屋お七の伝説では、お七が恋したのは「駒込吉祥寺の寺小姓」という一説もあるそうだ。

八百屋お七・吉三郎の比翼塚

八百屋お七・吉三郎の比翼塚

比翼塚の傍らには六地蔵がある。

六地蔵

六地蔵

釈迦如来座像

六地蔵脇には、お釈迦様の座像がある。

釈迦座像

釈迦座像

本堂と周辺

参道をまっすぐ進むと本堂がある。
本堂前に狛犬らしき像があるが、何ともいえない個性豊かな表情である。

 

梵鐘は少し離れた本堂の向かい側にある。

梵鐘

梵鐘

経蔵

吉祥寺の経蔵は文京区の指定有形文化財になっている建物である。
第二次世界大戦で境内のほぼすべてが焼失したなかで、山門と合わせて残った貴重な建物である。

江戸時代、吉祥寺は曹洞宗の僧侶の為の学校である旃檀林せんだんりんであったが、その時に図書収蔵庫として使われていたのがこの経蔵である。
なお、今日に至ってはお経が納められている。

狛虎が守っている経蔵の屋根は桟瓦葺きで、屋根の頂には青銅製の露盤宝珠ろばんほうじゅをのせた、二重宝形造りである。壁面随所にある彫刻は、当時の技術の粋を施されたもので注目に値する。

経蔵

経蔵

経蔵

経蔵

経蔵由緒

経蔵由緒

経蔵の前には、一対の狛犬ならぬ狛虎がある。

狛虎といえば、ラーメン好きの諸兄にとって思い浮かぶのは西中洲の激辛ラーメンの狛虎(はくとら)を思い浮かべるであろうか?

財宝を守る神である毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に降臨したことに「毘沙」と呼ばれている。
経蔵には寺院にとって大切なものが納められているところから由来するのであろう。

他に狛虎がある寺社としては、新宿区神楽坂にある善国寺や港区西麻布の天現寺がある。

狛虎吽像

狛虎吽像

狛虎阿像

狛虎阿像

童謡二

鐘楼と経蔵の間には、童謡にまつわる碑がある。

河村光陽先生記念碑

河村光陽(本名・直則)は、「かもめの水兵さん」や「うれしいひなまつり」など数々の名曲を残した童謡作曲家である。

河村光陽先生記念碑

河村光陽先生記念碑

小出浩平先生顕彰歌碑

小出浩平先生顕彰歌碑

小出浩平先生顕彰歌碑

小出浩平先生顕彰歌碑

小出浩平先生略歴

顕彰歌碑には童謡の「こいのぼり」が刻まれ、楽譜の右上には、作詞・作曲 小出浩平となっている。
しかし、「こいのぼり」の作詞者は今日では状況は全く違うものとなっており、「こいのぼり」の童謡は、作詞が近藤宮子、作曲者不詳というのが真実である。

後生に真実を伝えることも重要なことであるので、補足事項として立て看板でもかまわないから建立してもらいたい。

昭和7年日本教育音楽協会が全国から作品を募集、出版した「エホンショウカ」の中の、「チューリップ」「こいのぼり」などの曲について当時、作者名は公表されず著作者は同協会となっていた。
昭和57年同協会会長の小出浩平がこれらの著作権登録を申し出をうけ認められていたため、作詞者である近藤宮子より昭和60年歌詞の著作権の確認などを求める提訴される。平成元年東京地裁判決(昭和 58年 (ワ) 12198号)で「チューリップ」の1番と「こいのぼり」ほか4曲についても作詞者であると認められ、平成5年東京高裁でも勝訴(平成 1年 (ネ) 2844号)。

二宮尊徳墓碑

参道脇には、二宮尊徳の墓碑がある。
かつて小学校の片隅には背中に薪を担ぎながら、書物を読んでいる像があったことを思い出す。

二宮尊徳の墓

二宮尊徳の墓

二宮尊徳像

二宮尊徳像

御朱印

御朱印は本堂の右手前にある授与所で頂くことが出来る。

吉祥寺の墓地

吉祥寺は、いくつかの譜代大名・旗本の江戸の菩提寺であったことから、松前氏広など、通常国許の菩提寺に葬られるはずの遺骸が、諸事情により、吉祥寺に埋葬されている事例もあるが、新庄家の墓所を始めとして無縁状態の墓所が多く、今後整理され参拝できなくなる可能性がある。

吉祥寺の墓地には著名人の墓所が多数あり、葬られている方々の由来もあるので参拝の参考になる。
また、近代建築を模したような個性豊かな墓所もある。

寒桜

寒桜

吉祥寺の片隅に早咲きの桜が見事に開花していた

吉祥寺の片隅に早咲きの桜が見事に開花していた

旗本甲斐庄氏墓墓所

楠木正成の末裔にあたる。三家の墓所がある。

吉祥寺の墓域の奥に楠一族の墓があった

吉祥寺の墓域の奥に楠一族の墓があった

鳥山義所(鳥山新三郎)墓所

幕末の儒者。吉田松陰と交わる。

「箱館大戦争之図」永嶌孟斎画

「箱館大戦争之図」永嶌孟斎画

榎本武揚墓

昌平坂学問所で儒学を学び、英語は「ジョン万」として有名な中浜万次郎に師事。幕政を担う次代のエリートとして幕府に派遣されオランダに留学。軍艦・開陽丸に乗り1867(慶応3)年に帰国した榎本は、幕府海軍のトップ、軍艦奉行に任じられた。戊辰戦争で旧幕府軍を率いた。

鳥居耀蔵墓

耀蔵は、水野忠邦の天保の改革の下で南町奉行として辣腕を振るった「遠山の金さん」で有名な北町奉行だった遠山景元のライバル。おとり捜査を常套手段とするなど権謀術数に長け非常に厳しい市中取締りを行い民衆から「妖怪」とあだ名され忌み嫌われた。

所在地

文京区本駒込3-19-17
03 – 3823 – 2010

交通案内

・東京メトロ南北線「本駒込」駅より徒歩7分
・都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩12分

マップ