靖国神社

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靖国は、国民護持 国民総氏子で支えていくべき聖なる施設である。

神社の由緒

 靖国神社は、日本国家や皇室を守るため戦争で一命をなげうった英霊を、神道祭式により祭祀、合祀するための神社として存在する。

 1869年(明治2年)に「東京招魂社」として戊辰戦争で散った人々の霊を慰め、魂を鎮める為に創建されたことから始まる。

 

 古来より受け継がれてきた御霊信仰に基づき、その後1874年(明治7年)の佐賀の乱、台湾出兵、1877年(明治10年)の西南戦争等での戦没者に加え、幕末の維新運動で散っていった勤皇の志士たちも合祀されたのである。

 

 1879年(明治12 年)慰霊のための国の中心的施設にふさわしい社号として「別格官幣社 靖国神社」と改称されたのである。

 

 明治天皇が中国の「春秋左氏伝統」の中の我似靖国也の文章から安らかな国を願い命名したのである。

 

 祖国に殉じられた尊い神霊二百四十六万六千余柱が斉しくお祀りされている。

 

靖国神社正面

 

屈辱と無法なA級戦犯合祀問題

 東京裁判は戦勝国による不正な報復であり、国家の責任を個人に負わす不合理な押し付けにより一方的に日本を裁いた東京裁判でA級戦犯となった昭和殉難者は1978年(昭和53年)に合祀され、翌年公になった。

 

その後に時の首相であった

第68-69代首相 大平正芳 3回
第70代首相   鈴木善幸 8回

第71-73代首相 中曽根康弘9回

歴代首相が参拝したまでは、中共・韓国は一切の抗議や反対騒動は起っていない。

 

 1985年(昭和60年)戦後40年の節目の10回目の参拝対し、中曽根首相が首相の公式参拝は合憲であると主張したことで、昭和54年のA級戦犯合祀報道以来85年までの6年間には合祀反対の社説をも出していなかった反動朝日新聞が7月からの報道でから騒ぎ起し、中韓の無法な干渉が始まったのである。

 

不合理極まりない東京裁判

 A級戦犯に対する「平和に対する罪」はそれまでの国際法にはないものである。
 東條英機元首相は大東亜戦争開戦前に戦争を回避しようとした事実もあるのだ。
 全て日本が悪いという東京裁判史観を否定しない限り、日本精神の復活はない。

 

靖国の奥深さを感じる鎮霊社

 中門鳥居から本殿に向かって左奥の元宮の脇にひっそりとたたずむ小さな社がある。
 昭和四十年七月に当時の筑波宮司が全世界の戦没者を祀る構想の基に建立された鎮霊社である。

 

 祭神は二座ある。
 一座は、明治維新以来の戦争・事変に起因して自決や職務に殉じた方々で靖国神社に合祀されぬ諸命乃御霊。
 一座は、西暦1853年以降、幾多の戦争・事変に起因して死没した諸外国乃御霊。
 具体的には、西郷隆盛や会津の白虎隊、湾岸戦争やイラク戦争の死者など万邦諸国の戦没者も共に鎮斎されているが、それらの人々の名簿はない。

 

平成二十七年神無月 鈴木 誠厳

 

鎮霊社

 

 

 

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