右翼の歴史

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右翼(右派)の源流と歴史

日本の思想的源流は明治維新にさかのぼり、王政復古と外国排斥をあげた尊皇攘夷にあるといわれている。
又、福岡の玄洋社の頭山満にあるとも言われている。

明治時代

 明治維新時、薩長藩閥による専制政府が成立し各藩の武士は不満が暴発し、佐賀の乱・神風連の乱・秋月の乱・萩の乱・西南戦争と反乱が続発する。
 福岡藩は筑前勤王党として勤王派諸藩の中にあって存在感を示していたのだが、幕府の圧力に屈し、総勢百四十名の大量の処刑という「乙丑の獄」と呼ばれた大弾圧を加え、勤皇派は壊滅した。
 その結果、明治新政府創建という大事業に、一人たりとも参画することが出来なかった。


塾生には、頭山満・武部小四郎・箱田六輔・越智彦四郎・進藤喜平太・奈良原至・宮川太一郎らが学んだ。
明治8年、頭山満等により「矯志舎」が結成されるが、神風連の乱・萩の乱に連座し社員税員が逮捕された。


 明治維新時、薩長藩閥による専制政府が成立し各藩の武士は不満が暴発し、佐賀の乱・神風連の乱・秋月の乱・萩の乱・西南戦争と反乱が続発する。
 福岡藩は筑前勤王党として勤王派諸藩の中にあって存在感を示していたのだが、幕府の圧力に屈し、総勢百四十名の大量の処刑という「乙丑の獄」と呼ばれた大弾圧を加え、勤皇派は壊滅した。
 その結果、明治新政府創建という大事業に、一人たりとも参画することが出来なかった。

 下獄後の明治10年に「向浜塾」を結成し、10万余坪の山林開拓に乗り出す。
 明治12年に全国の欧化批判派が結集し大阪で開催された「愛国社」の大会参加後、塾を解散する。
 頭山満や平岡浩太郎・箱田六輔等が「向陽社」を結成し,3年後に「玄洋社」と改称した。



社員には、大隈重信爆殺事件(計画は失敗し右足切断の重傷)の来島恒喜や緒方竹虎・中野正剛・内田良平・広田弘毅…を輩出した。
 「玄洋社」の基本精神である「社憲則三条」は、
第一条 皇室を敬戴すべし
第二条 本国を愛重すべし
第三条 人民の権利を固守すべし
系譜には、「黒龍会」「大東塾」「大日本生党」「東方会」「浪人会」



大正時代

 大正期に入ると、任侠系・行動右翼が登場する。
 この系統には、「関東国粋会」「大日本国粋会」「大和民労会」「大正赤心会」「皇道義団」「大日本正義団」「赤化防止団」「鉄血団」…
 大正8年、満川亀太郎・大川周明・山田丑太郎等により「猶存社」が結成された。
主張は大亜細亜主義に加え国家革新を唱えた。
 その後中国上海にいた北一輝も帰国し参加し、北の「日本改造案大綱」の発行領布した。



 主な同人には、鹿子木員信・安岡正篤・清水行之助・岩田富美夫・嶋野三郎・西田税・綾川武治・渥美勝等といった後の昭和維新運動の指導者達が結集した。
 系譜には、「大学寮」「大化会」「大行社」「行地社」「興亜学塾」「東興連盟」「士林荘」「全日本興亜同志会」「建国会」「国民戦線社」…



昭和前期の時代

 大正末期からの不況に加え昭和に入る金融恐慌が起った。
 失業者は200万人を超え、農村は疲弊していた。 この様な世相を背景に国家社会主義を主流とした国家革新運動は急速にその勢力を成長させた。
 そして血に塗られたテロルとクーデター続発し、狂気の時代となっていった。

昭和 5年 佐郷屋留雄による浜口雄幸狙撃事件
昭和 6年 議会急襲未遂の3月事件・首相官邸襲撃未遂の10月事件
昭和 7年 血盟団事件、5.15事件
昭和 8年 神兵隊事件
昭和 9年 士官学校事件、永田軍務局長刺殺事件
昭和11年 2.26事件
昭和18年 東方同志会事件、勤皇まことむすび・維新公論社事件



敗戦と占領の時代

 敗戦によるショックに加え、占領軍(GHQ)の『皇国史観」の否定、右翼人の戦犯指定、団体の解散命令により右翼陣営は壊滅した。
 解散命令を受けた団体は300近くにのぼり、主なところは「大日本生産党」「大東塾」「玄洋社」「大化会」「時局協議会」「東方会」「建国会」「黒龍会」「国粋大衆党」「天行会」…

 敗戦の混乱の中、忘れてはならない悲しい事件も続発した。
8月22日、尊攘同志会員愛宕山自決事件
8月23日、明朗会宮城前自決事件
8月25日、大東塾代々木練兵場自決事件
 大東塾系では、3年後の4月8日に影山庄平の弟・岩男が「占領下の教育に悲嘆し自刃。
 30年後の昭和54年5月25日塾長の影山正治が「元号法制化の実現を熱禱し奉る」と遺書し、切腹後拳銃心臓を打ち抜き自死した。

 

 

戦後の昭和時代

昭和21年の第回総選挙には、大政党に混じり「天皇制奉護同盟」「日本反共連盟」「日本革新党」 等の右派政党が400以上名乗りを上げた。
 戦前からの系譜を告ぐ団体も「救国青年連盟」「日本国民党」「菊旗同志会」「新日本党」「全国勤労者同盟」等や、復員軍人系の「菊水会」「日本戦友団体連合会」等も動き出した。
 朝鮮戦争後に右派陣営も追放解除になり、福田素顕・荒原牧水により「愛国者団体懇親会」や本間憲一郎の「新生日本国民同盟」や旧東亜連盟系を統合した「協和党」等が結成された。

 

 昭和30年代には史上空前の規模の反政府・反米運動の安保闘争が繰り広げられ左派勢力の暴力の嵐が吹き荒れた。
 日ごとに高揚する政治闘争のうねりの中で、右翼派危機感を募らせ日本同盟・昭和維新連盟・生産党・日乃丸青年隊・殉国青年隊等により「全日本愛国者団体会議(全愛会議)」、児玉誉士夫系の「青年思想研究会(青思会)、福田素顯系の「大日本愛国団体連合時局対策協議会(時対協)」等行動右翼の連合体が次々結成された。

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