「巣鴨プリズン」で亡くなられ殉国の七士たちへの慰霊碑「平和の碑」に参拝

「巣鴨プリズン」で亡くなられ殉国の七士たちへの慰霊碑「平和の碑」に参拝

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑 絞首台があった場所とされている

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑 絞首台があった場所とされている

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑  榊を奉納

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑  榊を奉納

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑

巣鴨プリズン跡地 東池袋中央公園 平和の碑

高層ビル「サンシャイン60」に隣接する東池袋中央公園の一角には、巨大な石碑が建てられている。明治28年(1895)に、 石川島にあった監獄を移転し「巣鴨監獄」が豊島区東池袋の此の地に作られた。
大正11年(1922)に巣鴨刑務所」、昭和12年(1937)に東京拘置所となり、ゾルゲや尾崎秀美の死刑執行もされた監獄である。
大東亜戦争敗戦によりGHQに接収され「巣鴨プリズン」となった。

裁判の名を借りた勝者によるリンチ(私刑)であり、国際法違反の東京裁判とう裁判と呼べない茶番劇により、不法にもA級戦犯と指定され無念の中で散られた東條英機(元首相・陸軍大将) 土肥原賢二(元陸軍大将)広田弘毅(元首相)板垣征四郎(元陸軍大将)木村兵太郎(元陸軍大将)松井石根(元陸軍大将)武藤章(元陸軍中将)の殉国の七士とB・C級戦犯54人が主に絞首刑によって処刑された。
そして白人帝国主義者達は、大東亜戦争の戦争責任全てを後事法で日本の指導者を復讐のために13階段に送ったのである。
処刑その日に当てたのが、当時皇太子であった上皇陛下の誕生日に重ねるといった如何にも一神教徒らしい軽薄と残虐性の証である。
 
【東條英機閣下遺言】
日本青年諸君各位
 我が日本は神國である。この國の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに氣を養い、胆を練り、現在の状況に対處することを祈ってやまない。
 現在、皇國は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が國にあるということは少しも疑いを入れない。
 また、幾百萬の同胞がこの戰争のために國家に殉じたが、彼らの英魂毅魄(註:美しく強い魂魄)は、必ず永遠にこの國家の鎮護となることであろう。殉國の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年來の國史の導きに從い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。
 思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
 真骨頂とは何か。忠君愛國の日本精神。これだけである。        
              東條英機閣下の遺言
【辞世】
我ゆくもまたこの土地にかへり来ん國に酬ゆることの足らねば

戦後日本を蝕み続ける埋毒のGHQによるWGIPという日本人洗脳弱体計画の払拭とアメリカが行った戦争犯罪としての東京裁判史観を払しょくしなければ真の日本独立はないであろう。
 
奥羽列藩同盟尊皇の末裔
巣鴨プリズン跡地 池袋中央公園 平和の碑

巣鴨プリズン跡地 池袋中央公園

世間はクリスマス公園の隣のサンシャイン

世間はクリスマス公園の隣のサンシャイン

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。