神も仏も、アラーもキリストも・・・

元々八百万の神を信ずる日本民族にとって、外来の神も八百万の一神でしかなかったのではないか?

沖宮境内 水神 天燈山御嶽と対として祀られている

沖宮境内 水神 天燈山御嶽と対として祀られている


 狂信的に怪しげな宗教を信心しているほんの一部の人達を除いて、一般的的な日本人は正月は神社にお参りし、結婚式・お宮参・七五三などの慶事は神式で行い、葬式や法事などの祖霊に対する慰霊は仏式で行う。更には、クリスマスを祝い、ハロウィンまで祭騒ぐ、ここに何の矛盾も罪悪感も一切感じない。
つまり、外来の宗教も風習も良きものは「日本教」に取り込んで融合し、我が民族のものにしてしまう強靱な力があるのであろう。
 少なくはなったが地方や古い家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。
そして神棚には日本国の主神である皇祖神・天照大神とその土地の産土神が祭られている。
仏壇には亡くなられた祖父母兄弟の位牌を安置し拝んでいるが、仏壇の「仏」とは決して宗派の本尊が中心ではない。重きをなしているのは祖霊であり、仏壇とはご先祖様の祭壇なのである。
即ち霊は永久に、この国土の内に留まり祖霊となり、現世の子孫の生活を見守るというものが日本人の死後の観念であると思う。
6世紀前半に伝来したとされる仏教は、聖徳太子により推奨され、国家宗教として認知されていった。当時の仏教は文化の最先端であった。権力を持つ神社に寺院が造営され、地方にもその風が広まっていった。
天照大神(アマテラスオオミカミ)は大日如来(盧舎那仏)・須佐之男尊(スサノオノミコト)は熊野権現であり阿弥陀如来・伊邪那岐尊(イザナギミコト)は釈迦如来・伊弉冉尊(イザナミノミコト)は千手観音。大国主命(オオクニヌスノミコト)は大黒天で、市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)は弁財天・・・神仏は一体となり千年以上にわたり神社と寺院が寄り添う「神仏習合・神仏並存」の時代が続いた。
しかし、明治に行われた歴史を無視した暴挙とも呼べる「神仏分離」は、「廃仏毀釈」と共に明治維新最大失策の一つであったと小生は思っている。
西洋列強に対抗する為に明治政府は、「王政復古」を合言葉に「権威化した神々の系譜」の神権国家、つまり天皇を中心とする国家神道帝国樹立を画策したのであろう。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教は他を廃する潜在的な暴力性が強い宗教であるが、我が国の「八百万の神」は、全てのものに感謝する、そして全てを包み込み日本古来の自然を敬い恵みに感謝する鷹揚で寛容な日本的宗教観を見事に表すものであると言えるのではないか?
仏もアラーもキリストも石の神も水の神も「八百万の神」の一人、なんと素晴らしい宗教ではないか!
国家によって強制的に神仏分離がなされたが、国民の日常の信仰は現在ふつうに「神仏習合」である。
日本古来の文化であり風習である「神仏習合」を戻すべきではないか?

奥羽列藩同盟尊皇の末裔

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。