浅草弾左衛門所縁の地を歩く ① 白山神社

日本には世界に誇る歴史や文化がいくつもあるが、その一つは「奴隷及び奴隷制度が存在しなかった」稀有な国家である事だ。

ギュスターヴ・ブーランジェの描いた奴隷市場

ギュスターヴ・ブーランジェの描いた奴隷市場

世界史の中で常識のように存在し、現在でも中東やアフリカなどのごく一部ではいまだに存在する奴隷制度が、唯一取り入れることがなかった日本という国家を誇りに思う。

しかし、我が国にも悲しい恥ずべき事ではあるが、差別制度がなかったわけでもない。

そして現在もその出自に苦しむ国民がいる事を日本社会全ての人々が知らなければならない。

悪弊であり迷信である歴史的差別意識と感情が同和と呼ばれる問題なのである。

起源は一様ではないが、江戸期においては士農工商の枠外の賤民・穢多としていわれなき差別と迫害を受けてきたのである。

その穢多・非人の総支配をしていたのが矢野弾左衛門(代々襲名)であった。

その穢多頭(長吏頭)・弾左衛門のゆかりの地を訪ねてみた。

全国の主だった被差別部落にあった白山神社。

白山権現は穢れを嫌わず、穢れた人も救済するという伝承がある。

弾左衛門も白山社を祀ったことで、支配下部落にも広がったようである。

文京区 白山神社門前

文京区白山 白山神社門前

旧称白山権現社、文京区白山に鎮座する白山神社から訪ねる事とした。

湯島天神・根津権現と並んで創建が古い神社である。

御祭神は、菊理姫命・伊弉諾命・伊弉冊命。

創建は、天暦年間(947~57)に加賀一宮白山神社を本郷元町(現在の本郷一丁目)の地に勧請したと伝えられる。
後に元和2年(1616)に二代将軍秀忠の命により白山御殿(現在の小石川植物園内)に遷座、明暦元年(1655)現在地に再度遷座したという。

五代将軍・德川綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。
白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川は、白山神社本社のある加賀国石川郡より名づけられたと言われている。

白山神社拝殿

白山神社拝殿

白山神社 手水舎

白山神社 手水舎

白山神社 手水舎

白山神社 手水舎

白山神社 目が金色の右「阿像」の狛犬

白山神社 目が金色の右「阿像」の狛犬

白山神社 目が金色の左「吽像」の狛犬

白山神社 目が金色の左「吽像」の狛犬

白山神社 大防火水桶

白山神社 大防火水桶

白山神社 白旗桜

白山神社 白旗桜

白山神社のご由緒板

「当社人皇六十二代村上天皇天暦2年(948)9月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。

建武4年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和2年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安4年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文6年(1677)9月29日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。

元禄3年(1690)正月29日旧幕府より社領30石寄附之あり。右朱印元禄6年(1693)9月29日戸田能登守相渡さる。元禄16年(1703)11月29日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)6月14日加藤越中守掛にて仮殿手当として金500両桧5000挺寄附あり。再建せられたるも享保3年(1719)3月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治32年拝殿建設、昭和8年改修し同9年9月18日盛大に正遷座大祭施行す。(由緒板より)

白山神社 末社の八幡神社

白山神社 末社の八幡神社

白山神社 末社

白山神社 末社

白山神社 末社

白山神社 末社

白山神社 孫文先生座石

 

そして境内の一角には孫文のブロンズ製胸像額をはめ込んだ「孫文先生座石」と書かれた石碑がたっていた。

石碑前の茶黒色で横長の石に孫文が座ったと伝えられている。

頭山満翁や平岡浩太郎玄洋社初代社長等と親交の厚かった中国独立運動の志士「孫文」は、辛亥革命の前年である明治43年(1910年)にこの神社に来た。

日本に亡命中に盟友であった宮崎滔天宅に寄宿していた時期があったそうである。

滔天はじめ多くの民族派の志士が中華民国を誕生させた辛亥革命で大きな役割を果たしているが、その話はまた次回という事で・・・

白山神社 孫文先生座石 由緒

白山神社 孫文先生座石 由緒

碑文には次のように記されてあった。

「明治43年(1910)5月中旬、神社近くに住む盟友、宮崎滔天宅に寄遇していた孫文は滔天と共に、白山神社の境内の石に腰掛け、中国の将来と革命について語り合った。そのとき、夜空に光芝を放つ、一条の流星をみた。このとき、祖国の革命を心に誓った。そして、清朝を倒した辛亥革命の最高指導者となり、中国国民党の創設者になった。孫文が流星を見て、清朝を打倒し、新中国建設を誓った場所を後世に残そうと、白山神社の清水宮司を中心に町会有志が、この記念碑を建立した。
孫文と滔天が見た、一条の光芝を放つ流星は、ハレー聾星ではないかと思われる。ハレー彗星が太陽に最も近づいたのは、明治43年(1910)4月20日であった。中国や日本では、むかし、この星を妖星と呼び、変事が起こるきざしと考えられていた。

文京区白山 白山神社

文京区白山 白山神社

文京区白山 白山神社

文京区白山 白山神社

 


白山神社所在地

所在地

東京都文京区白山5-31-26

 

白山神社までのアクセス

都営三田線 「白山駅」から徒歩4分。
南北線 「本駒込駅」から徒歩6分。

 

御朱印の受付時間

御朱印と御守りを頂ける時間は、10時から16時までになります。なお、白山神社の御朱印は書き置きのものとなります。
※ 受付時間の変更などがありますのでご注意ください。

 

MAP