殉国 沼山光洋烈士 

沼山光洋烈士 自決現場の血痕の跡

沼山光洋烈士が本日未明に靖国神社を訪れ、自決された。

平成の御世に天皇陛下の靖国神社御親拝を叶える環境が整わないことは、臣下としての罪であり深くお詫び申し上げるとの言葉を残された。

沼山光洋烈士は、今上陛下の靖国神社御親拝を祈念し、その誠の心の証として自らの魂を捧げるため、自決の道を選ばれた。

靖国神社の神域を地で汚すことを避け、前の道路上で割腹自決を遂げた心根も見事で美しい所作であった。

靖国神社宮司も現場にお寄りになり死を悼み、快く献花台の設置をさせて頂いた事は慰めであった。

言葉では容易くとも行動を行うことは為し難い。

沼山光洋烈士 自決の報を聞き駆けつけた阿形先生をはじめとする民族派諸氏

沼山光洋烈士 自決現場で三沢浩一氏より説明を聞く

沼山光洋烈士 自決現場で三沢浩一氏より説明を聞く

沼山光洋烈士 献花台

犬塚博英先生から届いたお言葉も転載させていただく、

切ないな~
この五、六年、彼と格別親しくしていた。靖国会は愛郷塾の橘孝三郎先生の娘婿、塙三郎先生が事務局長で創設。塙先生も5・15事件に連座されている。
茨城は右翼人材の宝庫、占領解除後の右翼胎動も水戸の弘道館で。橘、本間憲一郎、三上卓先生が呼びかけた会合、中村武彦先生が事務局を担う。
本間先生の弟子でご養子の孝雄先生が桜田烈士祭を土浦の八坂神社で営む。本間家から二人、桜田に参加。
五、六年前だったか、水戸の愛郷塾を沼山君たちと訪ね、烈士祭に参加した。
毎年3月3日に私の家まで迎えにきて、土浦から自宅まで送ってくれた。ほぼ丸一日彼と行動を共にし、車中で靖国のことを語り合う、去年も今年も行き帰り彼と二人だけだった。
橘先生の弟子には楯の会の隊員も多かった。
楠公祭に参加される本間先生と霞ヶ浦の付き添いのご婦人を直会が終わった後に車で送ってくれた。今年も送りを頼もうとした矢先だった。
車中での会話を思い出すと涙が溢れます。

 

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。