尊攘義軍十二烈士女七十四年祭

令和元年 皇紀二千六百七十九年       「承詔必謹」 尊攘義軍十二烈士女七十四年祭  

天なるや秋のこだまかとこしへに
 愛宕のやまの雄たけびのこゑ
    三浦義一翁「悲天」より
2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 祭壇

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 祭壇

 日本は七十四年前の八月十五日、大東亜戦争に破れポツダム宣言を受け入れた。
しかし、降伏に反対し徹底抗戦を主張していた尊攘同志会は、昭和二十年八月十六、十七日に木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城した。
事敗れた尊攘同志会十名は、二十二日の午後六時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決したのである。敗戦降伏を潔しとせず、神州不滅を信じ、死して護国の鬼となり祖国日本を守り抜かんとした思いであった。そして、その五日後、尊攘同志会自決現場で夫人二名が夫のあとを追ひ拳銃自決。この十二名が「尊攘義軍十二烈士女」である。十二烈士女には、維新寮同人であった飯島與志雄烈士、大東塾同人であった谷川仁烈士、茂呂宣八烈士の三烈士もいたそうである。
尊攘義軍 請願詞

尊攘義軍 請願詞

令和元年8月22日午後5時から芝・愛宕山山頂、愛宕神社境内の顕彰碑前で、尊攘義軍12烈士女弔魂七十四年祭が厳かに敢行された。
慰霊祭を主催する「尊攘義軍顕彰会」は、犬塚博英議長が務め、顧問に山口申先生が名を連ねている。
尊攘義軍顕彰会行事 式次第
一、 国歌斉唱
一、 皇居遥拝
一、 祈願詞奉読
一、 尊攘同志会・勤皇まことむすび誓願
    尊皇絶対
    生命奉還
    神州恢復
    朝敵撃滅
    天皇陛下万歳
一、 海ゆかば奉唱
一、 黙祷
一、 世話人挨拶

弊会会員有志も参列させていただき、尊攘義軍の顕彰と精神の継承を永遠たらしめたいとの思いを同志と強く確認しあったのである。

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 弔魂七十四年祭

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 弔魂七十四年祭

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 石碑

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 石碑

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 弔魂碑

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 弔魂碑

【弔魂碑の碑文】
昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ 
転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応
天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士
しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す 
時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず
 
【自決された、飯島與志雄大人命の辞世】
 一脈の正気留めて日の本の誇りとともに吾は砕けつ
 神州の不屈をしめす此の正気継ぐ人あらば思ひ残さじ 
【茂呂加代子刀自命の辞世】
 死にませし君のみあとをしたひつつ
 我もゆくなり大和おみなは
2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 開会前の参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 開会前の参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 開会前の参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 開会前の参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 参列者一同

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 結城会長室室長と鈴木

2019.08.22 尊攘義軍十二烈士女 結城会長室室長と鈴木

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社 葵紋の提灯

愛宕神社 葵紋の提灯

※愛宕神社
自然の山である愛宕山(標高26m)山頂にある。
主祭神は、火産霊命(ほむすびのみこと)。
1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建した。
三代将軍徳川家光が、増上寺ご参詣のお帰りに愛宕神社の下を通り山上の梅を目にし 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。出れもが臆していたその時、丸亀藩の家臣で曲垣平九郎が見事男坂を登り面目を施したのである。
桜田門外の変に於いては、水戸浪士らがここに集合し祈願した後、雪の舞う中江戸城に行き、大老井伊直弼を討ち8年後に明治維新の大業がなされたのである。
江戸城開城に当たり、西郷隆盛と勝海舟が市内を眺め会談した地でもある。
【場 所】〒105-0002 東京都港区 愛宕一丁目五ノ三
愛宕神社 きつい階段を使わずエレベーターで

愛宕神社 きつい階段を使わずエレベーターで

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。