三浦義一翁墓参 青山霊園

三浦義一・西山廣喜一門の大先輩である山本峯章先生に新年の御挨拶に行く前に、青山霊園の三浦義一翁の墓参をした

三浦義一翁御墓

三浦義一翁御墓

40余年前当時の私は門下生の最末端であり、(西山先生は別にして)諸先輩も東京のお墓にお参りする者もおらず、語ってくれる方もいなかった。三浦翁の祥月命日に幹部の方は大津にお参りに行っていたが、三下の私などは連れっていてもらえる事などあり得なかったのだ。そんな訳で迂闊にも40数年前から三浦翁のお墓は東京にはなく、大津の義仲寺だけが菩提寺であると勝手に思っていた。ところが最近、西山事務所の清水先輩と昔話の雑談の中で「二月の紀元節奉祝式典は、二手に分かれ私は愛知の方に出席するので、折角なので門下生6名を連れ大津の義仲寺に行き三浦翁の墓参りをしてきますよ」と話したところ、清水先輩から「青山霊園にも三浦家の墓があるぞ。昔親父と行ったことがある」と長い付き合いの中で初めて聞いた。もう青天の霹靂、迂闊極まりない。門下になる前にお亡くなりになっていたので一門に連なる者ではあったが、三浦翁が東京生まれで生涯を過ごしたことをすっかり失念していたのだ。

そんな事で早速、結城副本部長を連れお参りした次第である。    

鈴木誠厳  

三浦義一翁御墓

三浦義一翁御墓

三浦義一翁御墓裏面

三浦義一翁御墓裏面

三浦義一翁御墓横面

三浦義一翁御墓横面

三浦義一翁御墓横面

三浦義一翁御墓横面

三浦義一翁御墓石塔

三浦義一翁御墓石塔

三浦義一翁親族の墓碑銘

三浦義一翁親族の墓碑銘

三浦義一翁親族の墓碑銘裏

三浦義一翁親族の墓碑銘裏

三浦義一翁御墓 脇の道夫氏とは?

三浦義一翁御墓 脇の道夫氏とは?

三浦義一翁は、大分市長でもあった数平氏の子として1898年に東京都で生まれた。
北原白秋の内弟子となったが白秋の私生活は、それ自体小説になるほど話題豊富である。
1920年に早大中退後、九州水力電気に入社。
1927年に上京。その後、1932年に大亜義盟を結成。
虎屋事件、益田孝不敬糾弾事件、
1939年中島知久平狙撃事件などを起こす。
これら3事件の罪により懲役2年に服す。
戦前は、南京市長顧問などの公職もこなして隠然たる勢力を保つ。
1949年に日本橋室町に事務所を持ち、「室町将軍」と呼ばれ、政財界の黒幕としての名声を得た。

三浦義一翁御墓 結城副本部長

三浦義一翁御墓参 結城副本部長

三浦義一翁墓参 結城副本部長

三浦義一翁御墓 結城副本部長

三浦義一翁墓参 結城副本部長

三浦義一翁御墓 鈴木

三浦義一翁墓参 鈴木

山本峯章先生に新年のご挨拶の後の一杯 鈴木と結城副本部長

山本峯章先生に新年のご挨拶の後の一杯 鈴木と結城副本部長

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。