フィリピン・パナイ島303部隊の慰霊碑 

フィリピン中部ビサヤ諸島のパナイ島南岸にある都市。本日イロイロ市ラパス第1elementaryの303部隊の慰霊碑の慰霊と確認に行きましたが、去年の5月までには移設だったはずがまだ出来ておらず、慰霊碑の保存確認だけは出来ました。
尚、修復は今年の5月までにはと言っおりましたがどうなるかの判断は難しい

イロイロ市ラパス第1elementaryの303部隊の慰霊碑

イロイロ市ラパス第1elementaryの303部隊の慰霊碑

イロイロ市ラパス第1elementaryの303部隊の慰霊碑

イロイロ市ラパス第1elementaryの303部隊の慰霊碑

1940年頃には、イロイロ市に500人ほどの日本人が住んでいたと言われている。

大東亜戦争開戦での真珠湾攻撃直後、日本軍はフィリピンも攻撃。

パナイ島の日本人は全員、フィリピン警察軍に強制収容された。

パナイ島の大日本英国陸軍上陸は1942年4月16日(瀬能大隊185名)であった。

収容所に監禁されていた邦人は日本軍により解放されたがイロイロ市はフィリピン軍による焦土作戦の為焦土と化しており法人の苦難は続いた。

1942年6月16日、日本軍はパナイ島全土に軍政を宣言した。

1945年3月18日、米軍の反撃が始まり、パナイ島イロイロ市北西のティグバワン町の海岸に米軍が上陸。

山に撤退する日本軍に在留邦人も付き従ったが3月21日、スヤック村山中で「軍の足手まといにならないように」と老人・婦女子の「集団自決」の悲劇が起きた。

守りを固めたパナイ島の日本軍は終戦の一月後までを抵抗を続けたという。

 

皇紀二六七九年一月十一日 比国イロイロ市にて 久保田剛

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靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。