テレビ東京「世界そこになぜ日本人 杉原千畝」をみて

杉原千畝

杉原千畝

「東洋のシンドラー」などとも呼ばれた杉原千畝氏を主人公にした番組を見た。
確かに彼はユダヤ難民を救った「人道の士」・誇りある日本人である。しかし彼だけが特別であったのか?それは否である。
TV番組に正しい歴史をきちんと作れなど無駄な説法で怒っても仕方がないが、歴史に埋もれた偉人を忘れてはならないのではないか? 杉原氏の偉業に異議を唱えるつもりはないが、杉原氏だけを英雄に仕立てた番組作りには何故か反感だけが募った。

杉原千畝による手書きのビザ

杉原千畝による手書きのビザ

ナチス・ドイツの迫害から逃れた極東に向かうユダヤ人には、いくつかの関門があった。その一つが、ソ連領通過した後のビザである。

1940年の欧州はナチスの制圧下にあり、トルコもナチスの圧力に負けビザ発給を拒否するようになっていた。

最終目的地のアメリカへの残されたルートは極東だけであった。

しかし満州国・日本・支那を通過するにもビザが必要である。

第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において「人種差別撤廃」を大日本帝国は提案した人道を重んじた国家であった。

否決はされたが、国際会議において「人種差別撤廃を明確に主張した」世界で最初の国家であったのだ。

極東に逃れてきたユダヤ難民のオアシスとなった重要な地点が「上海疎開日本エリア」の「無国籍難民限定地区」通称「上海ゲットー」である。

戦時下であった為、生活水準は悪かったものの、無祖国難民の限定地区として機能し封鎖されることは無かった。

この地がなければ欧州を逃れ支那大陸にたどり着いたユダヤ難民は流浪の民となってしまった事であろう。

 

次にソ連から次の中継地を目指すユダヤ人を助けた「人道の士」を紹介する。

ウラジオストク総領事代理・根井三郎氏である。

彼はナチスに肩入れする本省に抵抗し、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給してユダヤ難民を救済したのだ。

 

そして最大の功労者は、人道を重んじた真の武人・樋口季一郎将軍である。

ハルピンでユダヤ人難民に対しビザを発給し、一説には二万もの命を救った「オトポール事件」として伝え残っている。

ソビエト領オトポールには、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民が押し寄せていた。

しかし、満州国は日本とドイツの関係を気にして入国ビザの発給を拒否していた。

当時ハルビン特務機関長であった樋口将軍は、「たとえドイツが日本の盟邦であり、ユダヤ民族抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない」と同盟国であったドイツからの抗議にも屈せず己の信念を貫きビザの発給を指示したのである。

 

そしてもう一人意外な人物がいる。

東條英機将軍である。関東軍参謀長として直属の上官であったのだが樋口将軍の話しを理解し、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」とドイツの抗議を一蹴し不問に付してしまった。

A級戦犯なる汚名を着せられている東條将軍も、真の武人であったのだ。

 

大日本帝国と日本人は、敗戦により悪者の烙印を押されたが、白人世界の戦前で世界で初めて「人種差別撤廃」を叫び、迫害される民族を助けた多くの「人道の士」がいた事を忘れないでほしいものである。

 

 

奥羽列藩同盟尊皇の末裔

 

靖国神社について

靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりです。
明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っております。