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第五項 日露戦争(1904~05年)

日露戦争

 明治28年(1895年)に日本と清国は講和会議を終え、日清講和条約(馬関条約)を締結した。

① 清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを認める。

② 清国は日本に対し、遼東半島・台湾・澎湖諸島を永遠に割与する。

③ 清国は賠償金の2億テール(当時の日本円で3億円)を日本に支払う。

 しかしこの賠償案は、講和成立後に清国側の批准を待たずして消えてしまった。 世に名高い三国干渉である。

 ロシア・フランス・ドイツの列強三国が、理不尽にも力を背景に「極東の永久平和に障害となる」という理由で遼東半島の放棄を求めたのであった。

 繰り返すことになるがその見返りに、ロシアは1896年に東清鉄道敷設権を獲得し、その2年後には遼東半島の旅順・大連の租借権が認められた。

 フランスは1895年に安南鉄道の延長と雲南・広東の鉱山採掘権を獲得。 98年には広州湾の租借権を延長させ、ドイツは1898年に膠州湾の租借権を獲得した。

 三国の中国侵出に対抗する為、英国も威海衛と九竜半島の租借を認めさせた。

 皮肉なことに清国が列強の要求に応じたのは、日本への賠償金支払いの原資のためであった。

 一方、日本は臥薪嘗胆を期し、国力培養・軍備増強を官民一体となり突き進んだ。 (※陸羯南が創刊した新聞紙「日本」で三宅雪嶺が「臥薪嘗胆で後日に期そう」国民に呼びかけた。

 因みに、大戦後に我が師西山公喜が社主を務めた総合雑誌「日本及日本人」は、雪嶺翁が創刊した政教社の機関誌「日本人」が明治40年(1907年)に「日本及日本人」と改題され、国粋主義を訴える名高い雑誌となったものである)

日露戦争

 ロシア帝国は、当時世界最大の陸軍を擁する一大軍事大国であった。

 日露戦争における大日本帝国の勝利は、白人の持つ黄色人種とアジアに対する偏見的概念を一変させたのである。

日露戦争

 日露戦争においてのロシアの真の目的は、満州の領土強奪に止まらず、朝鮮半島の併合までを視野に入れていたからである。

 シベリア鉄道はモスクワ~ウラジオストクを結ぶ大動脈でロシア語では「Транссибирская магистраль」と呼び、航空機が登場する前は日本及び東アジアとヨーロッパを結ぶ最速にして最大容量の交通路であった。

 ロシアにとっては、シベリア開発と東方進出の最高のアイテムであったが、日本にしてみればこのシベリア鉄道こそが、脅威以外の何物でもなかった。

 最強の大兵力が、鉄道により送り込まれることは東アジアの最大危機であった。

 現にロシアは、朝鮮半島にその勢力を扶植し、1900年には慶尚南道の馬山浦を租借し、日本ののど元にロシア艦隊という匕首を突き付けようとしていた。

 ロシアの満州・朝鮮への進出に対して、日本は日英同盟の締結によって英国の支援を得、ロシアとの全面対決に踏み切ったのであった。

日露戦争

 もし日本がロシアに敗戦していれば、当時進行していた列強による清国分割安が実行され、満州と朝鮮はロシア領となり、中国大陸は英仏独の分割統治領となりアジアの発展は数百年遅れたであろう。 当然、ロシア革命も不発に終わり、世界は列強の時代が長く続いたことであろう。

 歴史にifはあり得ない。妄想といえばそうであろうが、当時の状況を検証すれば上記のような事になっていてもおかしくない。

日露戦争

 白人支配に苦しめられていた世界各国の有色人種劣等論を吹き飛ばし、自信と独立の思いの意思の確立が芽生えた大事件であった。

 インドのネール(インド独立時の初代首相)は、「小さな日本が大きなロシアに勝ったことは、インドに深い印象を刻み付けた。日本がもっとも強大なヨーロッパの一国に勝つことができたならば、どうしてそれがインドに出来ないといえようか」。

 孫文は、「今ではアジアに日本があることで、白人はアジア人を軽蔑しなくなってきた。アジア人全体の国際的地位が高くなった」。

日露戦争

 列強諸国に踏みにじられていた有色人種諸国の志士たちは、この時から徐々にではあるが民族の誇りを取り戻し嬉々とし立ち上がっていったのであった。



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