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大航海時代と西洋列強

 世のヨーロッパ民族は、ユーラシア大陸の西端辺境の後進地域であった。

 西欧文明はギリシャ・ローマ文明の継承者というイメージがあるが、両文明が衰退し欧州地域は、世界の後進地域となっていたのである。

 十五世紀頃まで脅威を与えていた大モンゴル帝国衰退の後、イスラム勢力の雄オスマン朝トルコが地中海の制海権を獲得し隆盛を極めていた。

 しかしその圧力に、ポルトガルとスペインで民族主義が沸騰し、国王による強力な中央集権制度を確立させ。

 そして航海技術の革新で外洋航海が可能となり、新たな交易ルートを開発した。

ポルトガルの大航海時代

そして大航海時代が始まったのである
…世界は西洋に圧倒される…

 西洋文明が地球規模で拡散し、白人による支配と略奪搾取の時代が始まった。

 ポルトガルとスペインによる新航路開拓と海外領土獲得競争が白熱化し、ポルトガルはアフリカ大陸を、スペインは南北アメリカに、後を追うようにして登場したオランダやイギリス、フランスはアジアへと勢力をのばしていった。

 十六世紀にはセイロン島、インドのゴア、マラッカ王国、モルッカ諸島(インドネシア)を占領し、欧州諸国は清の広州での通商、マカオの移住権を取得した。

コロンブスが発見した新大陸がアメリカと命名され、メキシコのアステカ王国・ペルーのインカ帝国を滅ぼし、猛烈な勢いで世界の勢力地図が塗り替わっていった。

 スペインは太陽の沈まぬ国と呼ばれ、一躍ポルトガルの首都リスボンも世界経済の中心になった。

スペイン無敵艦隊

 しかし両国は自らの国力を超えて、はるかに膨張拡大したことで存立基盤を危うくし、スペインの誇る無敵艦隊が新興国イギリス艦隊に壊滅的な敗戦を喫してしまった。

 そして広大な領土を獲得したにもかかわらず急速に没落していった。 それに代わりイギリスやフランス、ドイツ、オランダ等の新興国家が覇を争い、列強にならざる国(アジア・アフリカ・南北アメリカ)は、植民地か保護領か併合される運命しかなかった時代に突入した。

 ロシアはユーラシア大陸をひたすら南進と西進し大海までの領土拡大を続けていた。

 アメリカは、東海岸の13州で英国から独立を果たし建国をなしたが、その後はひたすら西部を目指し拡張を続け太平洋に達しハワイを勢力下においた。

 イスラム勢力のオスマントルコやイスラム朝、インドのムガル帝国も中華帝国清朝もひれ伏すしかなかった。

 

※ 大陸に於いては、固有の領土という概念は近代までなく、土地に境界線などない時代だったのである。

1627年当時の世界地図

 西洋東侵、西洋文明が地球規模で拡散した時代であった。

 こんな時代に、鎖国の眠りから覚まされた日本は、奇跡といえる明治維新という国家変革により、統一国家体制を成し遂げたのである。

 つまり明治維新により幕府を中心とした藩屏連合体制から大日本帝国という近代的な中央集権国家に生まれ変り、体制改革の成功によりかろうじて植民地化されず、欧米列強の恫喝と巧緻たけた謀略の魔の手から荒波を乗り越える様に、 列強強奪時代に主権国家としての生存権を獲得し、日本の近代化の礎を築けたのである。

 そして深刻なアジア情勢を分析し、非常に強い対外的危機意識を持ったのであった。

 しかし世界の情勢は甘いものではなく、弱肉強食の国家膨張による戦争の時代であった。

 

17世紀の世界地図

アジアの植民地化の歴史

1824年 マレー半島のマラッカ王国がポルトガル領となる。
スマトラ島がオランダ領となる。
1826年 マレー半島(ペナン-マラッカ-シンガポール)がイギリスの海峡植民地となる。
1862年 阮朝からベトナム南部コーチシナが割譲されフランス直轄植民地となる。
1863年

カンボジア王国がフランス保護領となる。

1893年 シャム属領であったラオスのルアンパバーン王国がフランスの保護国となる。
1905年

ラオス全領域が保護国となりフランス領インドシナが完成。
がそれぞれフランスビルマのコンバウン朝(アラウンパヤー朝)がイギリスの植民地となる。
ジャワ島のマタラム王国がオランダの植民地となる。

唯一タイのラタナコーシン朝(バンコク朝)だけが現在も続いている。

Asia is one.

アジアは一つである・ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である

岡倉天心(東洋の理想)



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