慰霊鎮魂の旅

ホーム > 鎮魂 巡礼の旅 > 年間行事

「日本人の魂」をあぶり出す慰霊鎮魂の旅

年間行事

 

1月7日 先帝崩御の日に御聖徳をお偲びする
皇紀2649年
1989年(昭和64年)
昭和天皇武蔵野陵
東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地
  午前9時から午後4時まで
  京王高尾線高尾駅
北口下車 北東へ1.5km

 

2月6日 赤尾敏大日本愛国党初代総裁祥月命日
皇紀2650年
1990年(平成2年)
横須賀 真言宗 東光寺
神奈川県横須賀市津久井5-8-3
  京急長沢駅より徒歩15分

 

2月7日 北方領土の日
  1981年(昭和56年)1月6日の閣議了解により制定
  1855年(安政元年)日魯通好条約が調印された日を、政府は最も適切な日として決定した。
全千島列島・歯舞・色丹・国後・択捉島の北方領土。

 

2月24日 西山広喜先生祥月命日
皇紀2665年 
2005年(平成17年)
諏訪山 吉祥寺
東京都文京区本駒込3-19-17
  東京メトロ南北線本駒込駅徒歩7分
都営地下鉄三田線白山駅徒歩12分

 

2月26日 二・二六事件 二十二烈士
皇紀2596年 
1936年(昭和11年)
興国山 賢崇寺
港区元麻布1-2-12
  麻布十番駅3番出口 ピーコック横
   
  二・二六事件の慰霊碑
東京都渋谷区宇田川町1-1
  渋谷区役所横

 

 3月2日 関山義人翁祥月命日
皇紀2656年
1996年(平成8年)
多磨霊園 19区 1種 10側
  國士院殿日豪義仁禅居士 奥州大学(富士大学)学長
※三浦義一翁の直系門下、西山翁の兄弟子
中山法華経寺権大僧正

 

 4月10日 三浦義一翁祥月命日
皇紀2631年
1971年(昭和46年)
朝日山 義仲寺
滋賀県大津市馬場1丁目-5-12
  JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300m

 

 5月25日  
皇紀1996年 
1336年
(建武3年7月4日)
楠公祭 楠木正成・正季兄弟を祭る 
  湊川神社
兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
  阪急・阪神・山陽電車 高速神戸駅東改札前
   
皇紀2639年 
1979年(昭和54年)
 影山正治先生祥月命日
  大東農場
東京都青梅市今井五丁目

 

7月26日 内田良平翁祥月命日
皇紀2597年 
1937年(昭和12年)
多磨霊園 14区 1種 9側
 ※黒龍会主幹

 

8月9日 反ロシアデー(旧反ソ連デー)
皇紀2605年 
1945年(昭和20年)

駐日本国ロシア連邦大使館
東京都港区麻布台2丁目1−1

  ※ ソビエト連邦は日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦を敢行した。
満州に侵攻し婦女子が主だった民間人に対し略奪陵辱虐殺の限りをつくした。
その後に全千島・歯舞・色丹・国後・択捉島の北方領土を不当に占領した。

8月15日

 

皇紀2605年

1945年(昭和20年)

 

阿南惟幾陸軍大将・陸軍大臣 憂国の自決

〔遺書〕

一死以て大罪を謝し奉る 神州不滅を確信しつつ

多磨霊園 13区 1種 25側 5番

 

寺本熊市中将 陸軍航空の父 憂国の自決

天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す

多磨霊園 13区 2種 54側

 

宇垣纏海軍中将 特攻出撃、散華

いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない。

多磨霊園 20区 1種 8側 18番

 

8月16日

 

皇紀2605年

1945年(昭和20年

 

大西瀧治郎海軍中将 神風特別攻撃隊の創始者 憂国の自決

 

〔遺書〕
特攻隊の英霊に日す 善く戦ひたり深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として 散華せり 
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに到れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青少年に告ぐ 我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ 
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり 隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ 
諸子は国の宝なり 平時に処し猶克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の為 最善を尽くせよ

 

西芦田共同墓地
 兵庫県氷上郡青垣町

 

8月19日  
皇紀2597年 
1937年(昭和12年)
北 一輝先生祥月命日
  泰叡山 瀧泉寺(目黒不動尊)
大川周明による碑は境内
墓は山門でて奥 向かい側に大川周明
東京都目黒区下目黒3-20-26
 

東急目黒線不動前駅から徒歩8分
JR・東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線目黒駅徒歩13分

 

皇紀2605年 
1945年(昭和20年)
神州不滅特別攻撃隊之碑
※ 満州に侵攻したソ連軍機甲部隊に対し偵察機による爆装特攻  
  世田谷観音(特攻平和観音)
東京都世田谷区下馬4丁目9−4
  三軒茶屋/祐天寺/目黒駅からは黒06系統

 

8月22日

 

皇紀2605年
1945年(昭和20年)

尊攘義軍 殉皇十二烈士女之碑
※ 愛宕山で手榴弾によ玉砕した尊攘同志会の誓願句「尊皇絶対」「生命奉還」
「神州恢復」「朝敵撃滅」の四句は、一貫不惑の信念であった。

 

〔碑文〕
昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ 転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応
天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士
しかれども遂に二十二日午後六時 相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す 時俄に
黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからず

天なるや秋のこだまかとこしえに愛宕のやまの雄たけびのこゑ

  愛宕神社
港区愛宕一丁目5-3  
  都営三田線「御成門駅」より徒歩8分

 

8月23日

 

皇紀2605年
1945年(昭和20年)

明朗会 十二ヶ烈士忠魂之碑
※日本主義団体 終戦時に会員が皇居前で集団自決

 

〔日比和一会長 遺書〕
仁愛なる陛下 冀わくは臣民一億をして再び国体護持の征戦を立たしめ給え


〔碑文〕
明朗会は日本伝統の神儒物三教融合の精神に則り 一切の行動を けて国体護持の信念を貫く大東亜戦争終戦の詔下るや会長日比和一外十一名は皇祚の無窮を祈りつつ皇居前に於いて自決せり

  本妙山 大長寺
府中市若松町5-9-5  
  京王線東府中駅 ちゅうバス多磨町ルート若松防災センター徒歩5分
京王線多摩霊園駅徒歩10分
   

 

8月25日

 

皇紀2605年
1945年(昭和20年)

大東塾十四烈士碑
※ 元代々木練兵場で終戦時に影山庄平以下塾生が集団自決

 

〔十四烈士共同遺書〕
清く捧ぐる吾等十四の皇魂誓って無窮に皇城を守らむ


〔碑文〕
昭和二十年八月二十五日早暁 元代々木練兵場の一角なる此の処に於いて 塾長代行影山庄平翁以下十八歳の少年に至る十四名の大東塾々生 古式に則り一斉に壮烈極まりなき割腹自刃を遂げ 以て大東亜戦争の大難に殉じ祖国再建の尊き人柱に立つ

 

〔影山庄平翁辞世歌〕

こんとんをひらきて今や大地の始発の時と祈り行くなり

 

國うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あかるとき

 

影山庄平翁
野村辰夫烈士
牧野晴雄烈士
藤原正志烈士
鬼山保烈士
芦田林弘烈士
東山利一烈士
棚谷寛烈士
野村辰嗣烈士
福本美代治烈士
吉野康夫烈士
津村満好烈士
村岡朝夫烈士
野崎欽一烈士

  代々木公園 管理棟と中央広場間
東京都渋谷区代々木神園町・神南二丁目  

 

8月29日 柴田実先代祥月命日
皇紀2672年 
2014年(平成24年)
多磨霊園 22区 2種 26側
 

 

9月24日 西郷隆盛翁祥月命日
皇紀2537年 
1877年(明治10年)
南洲墓地
※桐野利秋・篠原国幹・村田新八・辺見十郎太・別府晋介・・・  

 

10月5日 頭山満翁祥月命日
※アジア主義者の巨頭、玄洋社の総帥
皇紀2604年 
1944年(昭和19年)

横岳山 崇福寺
福岡市博多区千代4丁目7-79


東京青山霊園

 

10月18日 来島恒喜烈士祥月命日
※ 玄洋社社員、大隈重信爆殺未遂事件で自害
皇紀2549年 
1889年(明治22年)
谷中霊園
東京都台東区谷中7丁目

 

11月2日 山口二矢烈士祥月命日
皇紀2620年 
1960年(昭和35年)
長青山 梅窓院
東京都港区南青山2丁目26-38  
  東京メトロ銀座線「外苑前」駅1b出口正面
※ 大日本愛国党元書記長・筆保泰禎氏の墓もある
   

 

11月3日 明治節
光喜ある近代日本の礎を築いた明治天皇の誕生日
皇紀2512年 
1852年
(嘉永5年9月22日)
伏見桃山陵
京都府京都市伏見区

 

11月21日 吉田松陰先生祥月命日
皇紀2519年 
1859年(安政6年)
松陰神社
東京都世田谷区若林4-35-1  
  東急世田谷線松陰神社前駅徒歩約3分

 

11月25日 憂国忌 三島由紀夫烈士祥月命日
皇紀2630年
1970年(昭和45年)
多磨霊園 10区 1種 13側 32番
本名 平岡公威(平岡家の墓)
   
  森田必勝烈士祥月命日
  三重県四日市市大治田3-5-54
四日市あすなろう鉄道内部線小古曽駅徒歩

 

12月10日 三浦周重烈士祥月命日
皇紀2665年 
2005年(平成17年)
※ 新潟東港岸壁で自刃
 
 

平成25年12月14日に開催された三浦重周(三島由紀夫研究会元事務局長)を追悼する「早雪忌」で片瀬裕同志が読んだ追悼文の見事さに感銘を受けた方も多いと思いますが、以下は田村兄が文字に起こして後藤晋一兄が校正したものです。

 

追悼 三浦重周君

▼▼▼▼▼▼▼

 

重周 三浦重雄君は越後の國東蒲原の人。年歯十有五にして早や社稷の安危に思ひを致すと聞く。

長じて早稻田大學に學び苦學力行、政治學を攻究せむとす。然るに、おりしも日米安全保障條約改定の事あり、之れ國家の命運を左右し民族の歸趨に関はる重大事也。其の賛否を巡りて國論沸騰、乱兆顕然にして天下騒然たり。

早稻田の學府亦左翼革命勢力の一大拠点と化して混迷此處に極まるの観在り。

君、其の騒擾を坐視する能はず、報國の一念をい抱きて早稻田大學國防部に入部、日本學生同盟に加盟して時弊匡救の一歩を踏めり、維れ時、昭和四十五年春陽の一日也。

此の年秋十一月、三島由紀夫、森田必勝等「楯の會」殉國の挙事あり、両烈士憲法改正を唱導し市ヶ谷台上に國諫の割腹を遂げて絶命す、二烈士壯絶の最期に君の痛哭亦限りなし鳴咽涕泣の聲は今猶を諸友の耳朶を撃つものあり。

君、誓つて三島・森田の遺訓を継がむとす。

學業成りて一時法曹界に志を展べ各種法典を繙きつゝも時運これを許さず、君また救國の念止み難く、法律書を投じて志業継続の意を固めたり。而して同憂同志を相い謀ひ重遠社を興せり、此れ任重くして道遠しなる先帝軫念の詔を奉戴し神州赤子の微忠を獻ずるものに他ならず。此處に君の本領は存分に發露されしも、貧窮に甘んじ荊棘に満ちる君の後半世は既に定められたり。自ら同社の主幹と成りて東奔西走寧日無く或は講演に或は執筆に或は同志の勧誘に君の才は如何なく発揮されたり。就中、君の天稟の才は文章に於て發露せられたり。論旨の明晰、雄勁の筆致、行間に充溢する憂國の気魄、文章は經國の大業なる古人の言を君は其の名論卓説に依って証明せり。

高雅質実、君の人柄は麗朗玉の如きなるも、亦、大いに世俗に通じ、國事を談じ終えるや破顏一笑、時に猥談すら辯じて人の和を保てり、諸友はここに君の赤裸なる人格に觸れて更なる親愛の情を深めたり。

君は重遠社に據つて新民族主義運動の孤塁を守り後進の誘掖に勉むる傍ら、三島由紀夫研究會の事務局長として実務に專念、同會の存續發展にも大いに寄与したり。

然るに平成十七年十二月十日、郷里新潟の岸壁に於て壯烈の割腹を遂げ忽焉としてみまかりたり。其の憂國の最期は割腹の作法に則り古武士の遺風を彷彿せしめたり。諸友驚愕の裡に、其の死を訝かるの声あり、曰く自裁に臨みて何故遺言を殘さざるや、何故諫國の檄を認めたらずやと。之れ輕兆の言たるや論なし。

君は遠く高山彦九郎、横山正三の、近くは江藤小三郎、大橋正文、影山正治諸烈士の諫死を知悉し讃嘆せり、然るに敢へて遺書、檄文の類を遺さざりしは、國家民族に言及して其の死を飾るを潔しとせざる故友謙讓の美徳に他ならざりき。

既に亦、檄、遺言の要あらんや、君の認めし慨世憂國の論説これ全て故友の檄文ならざるや、挺身三十餘年に及ぶ憂國の克苦奮鬪、之れ全て故友の遺言ならざるや。

君逝きて早や八星霜、國事多端にして君を偲ぶや洵に切なり、師走の一日、故友の憂魂を慰むべく知友一同此處に會し懐旧の談を交し、其の一命を以て垂範せる一貫して不惑の生涯に頌徳の紙碑を獻ぜむとす。願わくば君、之れを受けよ。

以上         片瀬裕

 

 

( 片瀬 裕 先生略歴)

日学同第5代委員長。日本国家主義運動研究家。元やまと新聞記者。元財団法人日本政治文化研究所理事。

 

※ 三島由紀夫研究会メルマガ(早雪忌における片瀬裕氏の追悼文)より転載させて戴きました。

 

12月23日 殉国七士

 

皇紀2608年
1948年(昭和23年)

東條英機氏(元首相・陸軍大将)
土肥原賢二氏(元陸軍大将)
広田弘毅氏(元首相)
板垣征四郎氏(元陸軍大将)
木村兵太郎氏(元陸軍大将)
松井石根氏(元陸軍大将)
武藤 章氏(元陸軍中将)

 

※日本の敗戦により不法なる「A級戦犯」の名のもとに裁かれ、遂には絞首刑で散った殉国者。

 

殉国七士廟
愛知県西尾市三ヶ根山頂

 

12月24日 大川周明博士祥月命日
皇紀2617年
1957年(昭和32年)
泰叡山 瀧泉寺(目黒不動尊) 墓は山門出て奥
東京都目黒区下目黒3-20-26

 

 

慰霊鎮魂の旅 年間行事 通年行事 特攻・予科練の慰霊碑 学徒出陣慰霊碑 満蒙開拓団 忘れまじ殉難者拓魂 護国・招魂社