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北方領土

千島列島

  • ハボマイ群島、シコタン島、クナシリ島、エトロフ島
  • 即時返還を断固要求し、我が国固有の領土を取り戻そう!
  • 不可侵条約を一方的に破棄し、火事場泥棒的にわが領土を侵略したソビエト社会主義共和国連邦。
    国際法的にも違反である赤色ソ連の系譜を受け継ぐロシア共和国の暴挙を許してはいけない。

現在、日本国政府が返還要求をしている北方領土とは、歯舞群島(100km2)、色丹島(253km2)、国後島(1,499km2)、択捉島(3,184km2)である。国後島は沖縄本島よりやや大きく、択捉島は鳥取県とほぼ同じ面積である。

北方領土の国民的世論の喚起が遅れたのは何故か?

アメリカという民衆主義国家に占領された結果と、ソビエトという共産主義独裁国家に占領された違いだけの話である。しかし、米軍が占領した沖縄と赤軍ソ連が侵略占領した北方領土での住民たちが辿った道には雲泥の差があった。

沖縄の住民たちが苦労をしていないという事ではない。沖縄は沖縄で占領と返還後の基地問題で苦しんでいる。

しかし北方領土の住民たちは、父祖代々の地である故郷を奪われ、いつ戻れるかも定かでない未来が見えない現状である。

終戦時に北方領土には3,124 世帯・17,291人の日本人が住んでいたが、ソ連赤軍の侵略により、悲惨な略奪・暴行を受けた挙句、強制労働に従事させられたのである。そしてぼろ雑巾のように酷使された後、全ての財産を没収され、所持品は一個に制限され追われるように日本本土に送還されたのだった。

そしてマスコミも沖縄の記事は連日載せても、北方領土の不法なる占領における惨状の経緯も、旧島民の望郷の想いも、大マスコミの記事になることはなかった。

竹島に対する韓国の不法占拠も、いくら戦後の混乱期のどさくさ紛れの卑劣な行為であったとしても、その行為を国民に広く知らしめることがマスコミの責務であったのではないか?

政府がいくら「北方領土の日」(遅れに遅れ1981年にやっと制定)・島根県(国は制定してない?)が2005年に「竹島の日」を制定しても、国民運動とはほど遠い盛り上がりにかける情けない現状である。

マスコミが真の国益を考え、正しい領土に対する報道に徹していれば、北方領土も竹島もこれほど国民の意識から遠ざかった情況になっていなかったであろう。

認知症のルーズベルトを騙したスターリン

 アメリカ側の認識では、日露戦争の結果日本に割譲されたものは南樺太のみであり、北方四島を含む千島列島は日本の領土であると理解していたが、ヤルタ会談時、ルーズベルトは脳血管性認知症であった。
 スターリンは、認知症の老人を騙し北方領土の割譲を決めたのであった。
 会談の前、スターリンは極秘電報を米側に送っている。
「南樺太および北方四島を含む千島列島はもともとロシアのもので、日露戦争の結果、日本に持っていかれた土地である。参戦の代償としてこの領土を取り返すのは当然の権利だ」
 しかしポーツマス講和条約締結に深く関与していた米側も北方領土の研究はしており、千島列島は日本の領土であると認識していた。

8月15日の連合軍司令部による「一般命令第一号」では、満州・南樺太・38度線以北の朝鮮半島だけがソ連侵攻の許可エリアであった。

8月16日不信感と大いなる不満を持ったスターリンは、曖昧になっていた千島列島の全部に加え、北海道の半分までをも要求したが、米国のトルーマンににべもなく拒否されてしまった。

ヤルタの密約では、ソ連の千島列島の領有は認められていたが、その範囲決められていなかったのである。

しかし、狡猾な赤い熊ソ連は、米軍の進出が無いことを見極めた上で、千島列島全島に加え北海道付属の島である4島までをも進攻してきたのである。

8月28日択捉島、9月1日国後島・色丹島、9月3日歯舞諸島に上陸進攻し不法なる領土略奪をしたのである。

国境確定の経緯と領土返還交渉

江戸時代の安政元年の日露和親通好条約により、初めて日露間の国境を画定した。当時の実効支配の状況から、北方領土4島(ハボマイ群島・シコタン島・クナシリ島・エトロフ島)は日本領、それより北はロシア領と取り決られ、樺太はこれまでのとおり境界を設けず、日露混住の地とされた。

これ以降、この4島は日本領土であり、ロシア領土となったことは一度もない

1855年 日露和親条約 日露国境が択捉島とウルップ島の間に正式に引かれた。 (プチャーチン全権)

プチャーチン

1858年 日露修好通商条約

 

1869年 日本政府は蝦夷を北海道と改称し、11 国86郡を設置した。
(国後・択捉を千島国・国後島は国後郡・歯舞諸島及び色丹島は根室国花咲郡・
択捉島には択捉・振別(ふれべつ)-紗那(しゃな)-蘂取(しべとろ)の各郡が置かれた

 

1875年 樺太・千島(クリル列島)交換条約(日本とロシアは平和裡に領土問題を解決した)

 

1876年 日本政府はクリル諸島を千島国に併せ、得撫(うるっぷ)-新知(しむしる)-占守(しむしゅ)の三郡を設置した。

 

1905年 日露講和会議(ポーツマス講和条約
ロシアは樺太の南半を日本に割譲した。ロシア革命後1925年1 日ソ基本条約では、ポーツマス条約の効力存続が約された。

 

1941年 日ソ中立条約

 

1941年 大西洋憲章 英米は領土不拡大の原則を宣言

 

1942年 連合国共同宣言 ソ連も大西洋憲章に賛意

 

1943年 カイロ宣言(米英中)
「自国のためになんらの利得をも欲するものに非ず、また領土拡大のなんらの念をも有するものに非ず」

「同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以降において日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること並びに満州、台湾及び膨湖島のごとき日本国が清国人から盗取したる一切の地域を中華民国に返還することにあり。日本国はまた暴力及び貪欲により日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」

カイロ宣言

1945年

2月11日 ヤルタ協定 米英ソにおいての密約(1946年2月に公開)
ソ連の対日参戦の条件として、ソ連への南樺太の返還と千島列島の引渡しが協定された。

ヤルタ協定(チャーチル・ルーズベルト・スターリン)

7月26日 ポツダム宣言(米英中、後にソ連参加)
「カイロ宣言の条項は履行せらるべくまた日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」

ポツダム宣言

8月 8日  日ソ中立条約をソ連より一方的に破棄し宣戦を布告した。
8月 9日 ソ連赤軍による大日本帝国領の南樺太・千島列島・朝鮮半島北部及び満州国への侵攻。
8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達。
8月11日 赤軍、南樺太の国境を侵犯し侵攻。
8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定。
8月15日 日本国民に向けて玉音放送
8月15日 トルーマンからスターリンに送った原案にはソ連への降伏地として千島が入っていなかった。
8月16日 スターリンが、千島列島の全部と北海道の北半を加えるように要求。
8月18日 トルーマンの返書で、北海道北半については拒否したが千島については同意。
8月18日 占守島防衛戦
8月21日 占守島停戦(ソ連側約3,000名、日本側約600死傷)
8月26日 赤軍による松輪島占領
8月26日 赤軍による樺太占領
8月31日 赤軍による得撫島占領
8月28日 赤軍による樺太占領
8月29日 赤軍による択捉島占領
9月 2日 連合国への降伏文書に調印
9月 4日 赤軍による国後・色丹島を占領

9月 5日 赤軍が歯舞群島を占領

1946年

1月29日 連合国最高司令官総司令部覚書(SCAPIN)677 号
「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」の指令発出。
「ポツダム宣言の第8 項にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」

2月2日 ソ連は平和条約を待たず、北方四島を含め千島、南樺太を自国領土に編入。

1947年  歯舞・色丹はもとより、国後・択捉が千島(クリル)の内ではないとする論議。
10月6日 衆議院外務委員会で最初の「国後・択捉非クリル論」が請願された。

 

1951年  サンフランシスコ平和条約 ソ連が条約締約国不参加。
米国がヤルタ協定を正式に廃棄した。
そして、ヤルタ協定に含まれているソ連に有利な規定の承認を意味しない旨宣言。

 

1953年  米国より奄美群島が返還。

 

1955年  日ソ平和条約締結交渉開始 困難な問題が山積みであった。
シベリア抑留未帰還者問題・北洋漁業(拿捕漁船)問題・国連加盟問題…
8月   ソ連日本側全権の国後、択捉、歯舞、色丹の主権回復案をソ連が拒否。

 

1956年  日ソ交渉が再開(は重光葵全権)
7月   ソ連歯舞・色丹の二島引渡しプラス国境画定案し平和条約を締結というソ連案を日本が拒否。
9月   米国国務省対日覚書を発出。
「米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は
(北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹島とともに)常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。
10月   日ソ共同宣言(鳩山一郎首相)
「日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、
歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は、…平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」

 

1960年  日米安保条約締結に伴うソ連の対日覚書(グロムイコ外相)
「新安保条約がソ連、中国に向けられたものであることを考慮し歯舞・色丹を日本に引き渡すことによって外国軍隊により使用される領土が拡大するがごときことを促進することはできない」
日ソ共同宣言の領土引き渡し関し、日本領土からの全外国軍隊の撤退の条項付加を要求してきた。

 

1961年  池田⇔フルシチョフ往復書簡

日本側主張

①元来戦後の領土問題は平和条約で確定されるものであるが日ソ間には平和条約が締結されていない。
②ヤルタ協定は領土移転の法的効果をもつものでなく、また日本は当事国でないからこれに拘束されない。
③サンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄したがソ連のために放棄したわけではない。(以上により領土問題は未解決である)
④日本が受諾したポツダム宣言にはカイロ宣言の条項が履行されるべき旨明記されておりカイロ宣言では日本が暴力及び貪欲により略取した地域から駆逐される、連合国は自国のために利得を欲求するものでなく領土拡張の意思がないと宣言されている、かつて他国に領有されたことのない国後・択捉にまでソ連が領有権を主張していることはカイロ宣言の条項に矛盾する。
⑤帝政ロシアも1855年の日魯通好条約で両島が日本の領土であることを承認している。

⑥1875 年の樺太千島交換条約は「千島列島」としてウルップ以北の18 島を挙げているところ、サンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」はこの歴史的な概念である18島を指すものであって国後・択捉については放棄していない。

ソ連側主張

①ポツダム宣言は日本の主権を本州、北海道、九州及び四国並びに若干の小島に局限しており千島は日本の主権の下に残された領土から除外されている。
②日本は放棄した以上サンフランシスコ平和条約に帰属先が記載されていなくても千島を要求しえない。
③千島はヤルタ協定によって無条件にソ連に引き渡された。
④ヤルタ協定は日本と戦った諸国間に締結されたものである以上日本が当事国でないのは当然であるが日本は降伏して連合国の決定した条件を受諾した。
⑤米国もかつてヤルタ協定が自国を拘束するものと認めた。
⑥ヤルタ協定にも一般命令第1号にもサンフランシスコ平和条約にも千島列島の区分はない。
⑦国後・択捉が千島に含まれることは1937年の水路誌をはじめ戦前の多くの日本出版物において明らかであり、戦後においても政府が一再ならず認めている。
⑧1855年、1875年の条約は1904年に背信的に攻撃し樺太の南半を奪取するなどこれらの条約を破ったから日本は引き合いに出す権利を失った。

 

1968年  米国より南方諸島(小笠原等)が返還。

 

1972年  米国より沖縄(琉球諸島及び大東諸島)が返還。

 

1973年  日ソ共同声明(田中角栄首相)
ソ連は領土問題は解決済みであるとの姿勢を崩さなかった。

 

1977年  200海里海里漁業水域設定問題
ソ連は北方四島を含めた漁業水域の線引きを行い、北洋漁業関係者の生活と領土問題が絡み深刻な事態となった。

 

1988年  英国政府の公式見解で正式に日本支持(グレンアーサー英外務大臣)
「我々は、連合国は戦争によっていかなる領土的な利益も追求しないという一般原則にかんがみて、戦後40 年以上、ソ連が継続して北方領土を統治していることは正当化されない、という日本政府の見解を支持する」

 

1991年  日ソ共同声明(海部俊樹首相)
4月   ゴルバチョフ大統領がソ連最高首脳として初訪日。
「歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の帰属についての双方の立場を考慮しつつ領土画定の問題を含む日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約の作成と締結に関する諸問題の全体について詳細かつ徹底的な話合いを行った」そして、ソ連側が住民の交流拡大・訪問の簡素化(いわゆるビザなし渡航)、地域における互恵的経済活動、軍事力の削減について提案がなされた。
12月   ソ連の連邦制が崩壊し、ロシアが国際法上の権利義務を引き継いだ。

 

1992年  ビザなし渡航実現。

 

1993年  「東京宣言」(細川護煕首相)
エリツィン大統領が公式に日本を訪問し、四島全てが帰属問題の対象であることを明確にし、帰属問題を法と正義の原則を基礎に解決するという方針を打ち出した。

 

1997年  エリツィンと「クラスノヤルスク合意」(橋本龍太郎首相)
「東京宣言に基づき、2000 年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意。


1998年
4月   エリツィンに「川奈提案」(橋本龍太郎首相)
「平和条約が東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むべきこと」で一致した」
日本側から、国境が択捉とウルップの間にあること及び別途の協定で施政権の返還を定めるまでの間は四島にロシアが施政権を行使することを規定する旨の提案が行われた。
11月   日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言(小渕恵三首相)
四島に対する日本の主権は認められないが、四島交流の拡大(経済活動の法制度も整備)及び国境画定条約交渉の継続を規定するという提案。

 

2000年  プーチンとの「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」(森喜朗首相)
四島の名を挙げ、その帰属問題を解決することにより平和条約を策定するための交渉を継続するとした。

 

2001年  「イルクーツク声明」(プーチン・森喜朗首相)
日ソ共同宣言(1956年)を基本的な法的文書であることを確認し、東京宣言に基づき四島の帰属問題を解決することにより平和条約を締結すべきことが再確認された。
この事はで二島の返還をもって最終解決とされる危険性がある。

 

2003年  「日露行動計画」(プーチン・小泉純一首相)
行動計画は6分野における合意から成り、
① 政治対話の深化
首脳・閣僚レベルの対話の活発化や、議員交流の拡大に努める。
② 平和条約交渉
1956年・東京宣言・イルクーツク声明等の諸合意が列挙され、この認識に立って、残る諸問題の早期解決交渉とた四島交流や人道支援の継続を確認。
③ 国際舞台における協力
(a)テロなどの国際問題の解決
(b)軍備管理・軍縮・不拡散
(c)地域情勢(主にアジア太平洋地域)に関する対話
④ 貿易経済分野における協力
日露間の貿易投資の促進、ロシアに対する技術支援、エネルギー分野の協力他、経済関係発展に努める。
⑤ 防衛・治安分野における関係の発展
定期的なハイレベルの交流、防衛当局間協議、艦艇の相互訪問、共同訓練などの防衛交流を進める。
また、国際組織犯罪や水産物密漁・密輸などに対抗するため治安当局間の協力を推進する。
⑥ 文化・国民間交流の進展

 

2005年

 5月 小泉純一首相の訪露

11月 プーチン大統領の訪日

 

2008年

4月  福田康夫首相の訪露

 

2009年

2月  麻生太郎首相のサハリン訪問・メドヴェージェフ大統領会談
各年のサミット・APEC首脳会議等の機会で領土問題と平和条約に関する対話の継続等が確認されている。

占守島防衛戦にみる帝国陸軍・士魂部隊の大和魂

北方の千島列島(クリル・アイランズ)の北東端・占守島(Shumshu)で、祖国を守るため戦った男達がいた。
昭和20年8月15日大東亜戦争終戦…
その三日後未明、日ソ不可侵条約を一方的に破棄した赤色ソ連軍が火事場泥棒のごとく、千島列島や南樺太への侵攻を開始したのだ。
赤色ソ連軍は8月9日にすでに満洲に侵攻し、11日には樺太に侵攻を開始した。そこでは正規の戦闘行為といえるものでなく、無法なる殺人、強姦、略奪という阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。

占守島で発見された旧日本軍九七式中戦車

赤色ソ連は日本侵攻において千島列島を南下し、北海道を占領した後、勢いに乗じて本州の東北地方の占領までをも画していたのだ。

降伏の意思を明らかにした場合、軍使を送り武装解除の手続きをし、停戦協定を結ぶ手順が国際的習慣であるが、欲にかられた赤色ソビエトは、平和的進駐を放棄し、電撃的進攻に踏み切ったのであった。 方や皇軍は、要所に白旗をあげ砲の尾栓を抜き戦車の海中投棄を準備し粛々と停戦の準備をしていた。
陸軍きってのロシア通だった樋口季一郎第5方面軍司令官は、占守島の戦いが日本の未曾有の危機と分断を守る戦になると察知した。そして不法なる武力的奇襲行動には断固反撃し、上陸軍を粉砕せよと命じたのであった。
玉音放送で終戦を知った第91師団の占守島将兵たちは、祖国を守るため再び銃剣をとったのであった。
戦車第11連隊池田末男連隊長は出撃に際して、
「我々は大詔を奉じ家郷に帰る日を胸にひたすら終戦業務に努めてきた。
しかし、ことここに到った。もはや降魔の剣を振るうほかない」
「民族の防波堤になる」

と訓示を述べたと言い伝えられている。

占守島の戦闘 ロシア撮影

ソ連軍の凄まじい艦砲射撃に耐え、上陸する赤色ソ連部隊を次々と撃破したのであった。
侵攻を開始してから4日後の8月22日、両軍は停戦協定を締結したが、日本軍の精強ぶりに対し赤色ソ連軍は、驚嘆と畏敬の念を持ったといわれている。
この先人たちの
大和魂を決して忘れてはならない。

 

平成二十八年稲熟月 大島 雄二


参考資料

『幕末日露関係史研究』郡山良光著 国書刊行会

『法令全書』 原書房

『国際法からみた北方領土』高野雄一著 岩波ブックレット「カイロ宣言と日本の領土」五百旗頭真著

『第二次世界大戦中の米英ソ秘密外交書簡 米ソ篇』ソヴィエト連邦外務省付属外交文書出版委員会 (川内唯彦訳)大月書店

『日本講和条約の研究』入江啓四郎著 板垣書店

『サンフランシスコ講和への道』細谷千博著 中央公論社

『サンフランシスコ平和条約』西村熊雄著 中中公文庫

『北方領土問題の歴史的背景』大熊良一著 南方同胞援護会

『北方領土問題資料集(改訂増補)』南方同胞援護会

『不信から信頼へ―北方領土交渉の内幕』アレクサンドル・パノフ著 高橋実訳 サイマル出版会

『自由民主党北方領土地図ミッション訪欧報告』

『日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集』日本国外務省・ロシア連邦外務省

『雷のち晴れ―日露外交七年間の真実』アレクサンドル パノフ著 日本放送出版協会

北方領土問題リンク集

内閣府北方対策本部

外務省各国地域情勢ロシア連邦

北海道庁根室振興局

独立行政法人 北方領土問題対策協会

公益社団法人北方領土復帰期成同盟

公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟

北方四島ポータルサイト

北海道立北方四島交流センター(ニホロ)

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