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三笠宮崇仁親王殿下の薨去にあたり昭和天皇の御巡幸を思う

三笠宮崇仁親王殿下

 昭和天皇の御令弟で、現在の天皇陛下の叔父にあたり、皇族の中で最年長だった三笠宮崇仁親王殿下が薨去されました。

 大正から昭和、平成と3代にわたる、100歳に及ぶ生涯だった。

 心から哀悼の意を表したいと思います。

 

 三笠宮さまは1943年、皇族であることを秘し陸軍参謀として中国南京に赴任された経験をお持であり、終戦直前8月13日に、阿南惟幾陸軍大臣が昭和天皇に徹底抗戦に翻心させようと三笠宮に説得を願い出たそうですが「陸軍は陛下の大御心に反する」と断り、阿南を叱責したと伝え聞いております。

 三笠宮殿下を思いますと、自然と御令兄であれせられました昭和天皇陛下を思い出してしまいます。

 そこで、昭和天皇の御巡幸を思い偲んでみたいと思います。

 1945年日本は大東亜大戦敗戦により、日本開闢以来初めて戦勝連合国という外国の軍隊に占領されたのでした。

 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の中で、占領政策の中心を担ったホイットニー准将率いる民政局(GS)せした。

 当時の民政局は、アメリカのレッドパージから逃れてきた共産・社会主義者たちの巣窟になっており、赤に染まったGS高官たちは、天皇陛下を恥ずかしめようと全国巡幸を画したのでありました。

 敗戦直後の日本の各地に天皇を派遣すれば、敗戦の責任と焦土と化し極貧となった怨嗟を、国民は当然天皇に押しかぶせるものと思い、小石をぶつけ罵倒しまくる民衆の姿を思い描いたのでありました。

 占領軍、特にGSの者たちにとって、はどうしてもヒロヒトが神さまじゃなくて人間だということを知らしめてやろうという意思があったのでしょう。

 ゆがんだ思想に毒された彼らにとっては、それが生きた民主主義の教育というものだと驕りきっていたのです。

 しかし現実は予想だもしない、彼らにとって驚くべきものでました。

 

 昭和21年2月19日、川崎を皮切りに御巡幸がはじめられました。

 並んだ工員たちに、昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれたそうです。

 感極まって泣いているものも多かったと言われています。

 翌日新宿では民衆が殺到し、手お会わせ拝み、天皇陛下万歳の声が焼け跡にこだましたそうです。

 

 12月5日、広島に御巡幸されました。原爆投下爆心地であった相生橋前でも、陛下の御言葉に感激した奉迎の7万もの民衆により天皇陛下万歳の声が広島の町にこだましたそうです。

 人口わずか三万の小さな町飛騨高山には、陛下のお顔を拝しようと13 万もの国民が押し寄せたのです。

 民政局は、国民が天皇陛下に対する思いとその存在の大きさに驚き、御召し列車に当時禁止されていた日の丸をふった行為を理由に巡幸を打ち切ったのでした。

 しかし御巡幸を待つ各地の国民の声と昭和天皇自らがマッカーサーを口説いたことで御巡幸は、1年後の昭和24 年5 月再開されたのであります。

 マッカーサーが初めて昭和天皇と会談したのは、昭和20年9月27日である。

 暗殺や逮捕の恐れもある中、昭和天皇は通訳一人だけを連れて、アメリカ大使館公邸を訪れたのでありました。

 マッカーサーは、当然助命の嘆願での訪問と思っていました。

 第一大戦直後、占領軍としてドイツへ進駐した父に伴っていた時、敗戦国ドイツのカイゼル皇帝が占領軍の元に訪れ「戦争は国民が勝手にやったこと、自分には責任がない。従って自分の命だけは助けてほしい。」と命乞いを申し出たのだ事を思い出していました。

 マッカーサーは無礼にもパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともせず足を組み、昭和天皇を出迎えたそうです。

 

 昭和天皇は直立不動のままで、国際儀礼としての挨拶をし御言葉を発したそうです。

 

 「日本国天皇はこの私であります。 戦争に関する一切の責任はこの私にあります。 私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。 絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります」

「しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。 温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

※「昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー」より

 

 この言葉に、マッカーサーは驚き、そして感動に揺すぶられたのでした。

 有名な逸話であり、小生も昭和天皇の偉大さに感動したものです。

 若いころは不勉強で、皇室の伝統精神に思いが及ばなかったことを今は非常に恥いる次第でありますが、神武天皇以来歴代天皇は、「神事を先にし、他事を後にす」という常に厄災を払い民の安寧と幸せを祈る御心で皇室の道統を継承されてきたのでありますから、昭和天皇お一人が特別でなく当然のお気持ちであり、お言葉であったのです。

昭和天皇 ※出典Wikipedia

 

 

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