皇位継承を言祝ごう

どうやら今上天皇様のご譲位案が決まったようだ。安倍首相は、天皇陛下が平成31年4月30日に譲位され、皇太子さまが5月1日に即位される案を推しているという

第125代天皇 明仁 今上天皇
第125代天皇 明仁 今上天皇

安倍首相は「国民がこぞってことほぐ中、陛下のご退位と皇太子殿下のご即位がつつがなく行われるよう最善を尽くす」と話している。また安定的な皇位継承について、「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行ってゆく」 と語った。

 陛下のご譲位、ならびに皇太子殿下の即位がつつがなく行われることは、私たちを含め全国民の希望でもある。

皇位継承が伝統にのっとりつつがなく行われることを皆さんと一緒にことほごうではありませんか。
                      

北面武士

新潟県妙高市と京都府丹後市が国賊行為

 新潟県妙高市京都府丹後市が作成した観光パンフレットに、日本海を韓国語で「東海」と表記していたことが判明する驚愕的な事件が発生した。日本政府が、韓国サイドの「東海」表記運動に強く反対していることを十分知っての上で、韓国人ないし在日朝鮮人が意図的な表記を敢えて観光パンフレットに書いたとしか思えない。韓国サイドは、知らぬところで次々と日本に対する文化的な攻撃を行っている。

新潟県妙高市 観光パンフレット
新潟県妙高市 観光パンフレット

我々は、愛国者として断固として責任の所在を追及しなければならない!!

 この事件は、日本人特有の単なる「韓国語が分からず知りませんでした」で終わらせてはならない重大な事件である。なんとなれば、コンス事件で判明したように似たような「文化的な侵略」事件が学校現場など我々が知らないところで次々と起きているからだ。
 今回の事件が悪質である理由は、日本人が韓国語を知らないだろうとの判断で、何者かが韓国サイドの「東海表記運動」に呼応して、敢えて自治体の観光パンフレットという公的な文書に「東海」と書き込んだことにある。一体誰がこんな意図的な事件を引き起こしたのか。その責任を明確にすると共に、自治体そのものの責任を明確にしなければならない。

 

北面武士

 

抗議の電話をしよう!

※新潟県妙高市 入村(にゅうむら)昭 市長

 0255-72-5111

※妙高観光推進協議会 丸山善宏会長

   0255-74-0021

  info@myoko-note.jp

※妙高市観光協会

 0255-86-3911

 http://www.myoko.tv/inquiry

※京都府京丹後市  三崎 政直 市長

 0772-69-0001

※京都府京丹後市観光協会

 0772-62-6300

 

葦津珍彦先生

葦津珍彦先生、先生の名は 「あしづ  うづひこ」と読む。
終戦後、国体破壊のアメリカ占領軍政策に対して、国体護持の為、祖國光榮の回復の為に生涯を捧げ尽された大忠臣であらせられた

 

葦津珍彦先生
葦津珍彦先生

 田舎に住んでいると、なかなか大きな書店に行く機会がない。そこでたまの東京出張は絶好の本屋あさりとなる。今回も、孫の顔を見に熊谷市に行った帰りに新宿の紀伊国屋書店に寄ってみた。そこで神道コーナーに久しぶりに葦津珍彦先生に関する本を発見したので、早速買ってきた

次代へつなぐ葦津珍彦の精神と思想
次代へつなぐ葦津珍彦の精神と思想

この本の題名は、「次代へつなぐ葦津珍彦の精神と思想」。神社新報社の出版である。もともと葦津先生は戦後、神社新報社の創設に携わった方なので同社の出版は当たり前なのかも知れない。
 私が葦津先生の名前を知ったのは、大学生時代で日本教文社が出版した「大アジア主義と頭山満」という本によってであった。日本教文社は愛国教団であった生長の家系の出版社であった(今では同書のような愛国的な本は出版していない)。同書を通じて葦津先生の書籍に親しみ、その後も右側の理論家として尊敬していた。
 大学生四年の時、進路に悩み一面識もなかったがアドバイスを頂きに葦津先生を訪れたことがあった(高名な先生でも、大学生など若者には会ってくれるものだ)。その時、三時間ほど時間を割いて頂き、話されたのが名前は失念したがある外務省の官僚の話であった。
 (その話の時代は)日清戦争後、列強から「三国干渉」を受け、しかも不平等条約を押し付けられていた。日本の政府はその条約の中身を明らかにしなかった。
 そんな状況下で、その外務官僚は、当時の在野勢力であった頭山満などに条約の中身を漏洩するのである。今で言えば公文書漏洩罪であった。
その条約の中身に怒った在野勢力が、その後大規模な反対運動を引き起こすに至る。葦津先生は私に「官僚になってもいいから、一生に一度は国のため、首になるようなことをやれ」と激励してくれたことを思い出す。

葦津珍彦翁 沈才沈勇
葦津珍彦翁 沈才沈勇

ある意味で過激な先生であったが、それだけ日本を思う心情が強かったということだろう。先生は平成四年に亡くなるが、晩年のエピソードとして、「誰かに憑依してでもこの国を守りたい」と語ったという話を聞いている。真の愛国者であった葦津先生の面目躍如たる話ではないか。

 

北面武士

 

※日比谷焼打事件
上記のような事があり、国民の政府に対する不信が高まっていた。新聞各社が歓喜による過大戦勝記事を載せた事、と列強と呼ばれる世界最大の軍事大国露西亜帝国に、日本海海戦・旅順要塞攻略戦・奉天会戦と次々に勝利はしたが、大日本帝国にはもう戦闘継続の余力はのこっておらず、講和の道しか選択の道はなかったのであるが、国民は戦時国債や増税を強いられてきた不満の解消を、賠償金獲得で晴らしたい気持であったのだ。
そんな国民感情を抱えた中で、講和条約ポーツマス条約が締結された。韓国・満州の権益は保全されたものの直接的な賠償金が得られず、政府の弱腰外交に非難が高まり、国内世論が沸騰暴発し、日比谷焼打事件が起こったのである。

 

※葦津珍彦先生
明治42(1909)年、福岡に生まれ巨人・頭山満翁に師事した。
戦前は、民族派の立場からナチス思想や軍部の強権・東條英機内閣の政策を批判し、発禁処分を受け逮捕される。
神道史研究の大家で、神社本庁創設の中心人物。
国体護持・神社護持運動の最前線にあって、民族派運動に多大な影響を与え続け、一介の野人を貫いた信念の人。
主な著書は、
 「永遠の維新者」
 「明治思想史における右翼と左翼の源流」
 「昭和維新の思想的諸潮流」
 「国家神道とは何だったのか」
 「日本の君主制─天皇制の研究」
 「大アジア主義と頭山満」
 「昭和史を生きて―神国の民の心」
 「土民のことば―信頼と忠誠との情理」他多数・・・

西尾幹二氏の議論 自民党国会議員の劣化

保守系評論家の西尾幹二氏が、傾聴に値する議論を産経新聞上に発表している。それは保守の自民党が「仲良しクラブ」に成り果て、同党内で真剣な政策論争がなされていないーという問題である

自由民主党 シンボルマークは明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと
自由民主党 シンボルマークは明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと

現在は自民党の1強で、他の野党は弱い。国民も、その現状を決して良いことだとは思っていないはずである。このまま推移すれば、小池新党が出現し、必ずや次期総選挙では自民党は大敗するであろう。私は、自民党を批判する保守側の政治勢力がない現状を憂慮する。自民党の右側にそれを批判する政治勢力があっていいのだ。いや、むしろあるべきなのである。「仲良しクラブ」と化した今の自民党はその意味で、非常に危険な状態にあるというべきであろう。党内でフレッシュな思想論争を巻き起こし、現状を打破すべきではないか。
 もっとも同党内の二年生議員が引き起こしている様々な不祥事を見ていると、自民党国会議員の劣化が明らかである。その意味でも、自民党を批判する右側の政治勢力の出現が望まれる。本会の会員皆さまの奮闘が望まれるところである。

 

なぜ自民党の国会議員は、かくも劣化してしまったのか。今日のどうしようもない数多くの国会議員を見ていると、彼らもはや「国民の選良」と呼ぶには値しない。国会議員である前に「立派な日本人であるべきだ」との自覚すら欠如している気がする。
 これは何も若手議員ばかりに向けた批判ではない。この際、ベテラン議員も真剣に考えてもらいたいのである。私は、平成2年と平成5年の総選挙に、無所属扱いではあったが河本派の新人で、福岡4区から立候補した経験がある。今で言えば、新内閣で総務大臣となった野田聖子氏とは、河本派の新人として「同期の桜」の関係でもある。
 私は、中曽根内閣で自民党の幹事長まで務めた田中六助代議士の秘書だった経験があるが、当時の政治家はそれこそ身を粉にして国政に当たっていた。言うなれば「自分がこの国家を支えている」と言った自覚と自負があった。だから、寝る時以外は国政のことを考えていたし、暇な時間でも読書をしたりしていた。我と我が身を国政に捧げていたのである。
 ちなみに田中代議士は、大平内閣の官房長官をしていた一年間で、心労のため髪はすっかり真っ白になり、顔も変わってしまったほどだった。
 しかし、良く考えてみると、やはり、日本の政治家の劣化は選挙制度の変更、つまり今の「小選挙区制」がもたらしたものだと思う。それまでの中選挙区制度であれば、自民党内の派閥が候補者の選任も含め、候補者教育もしっかりやっていた。候補者の側もしっかりしないと適格者とみなされないから、身辺の整理にも気をつけて問題を起こさないようになる。「国民の選良」となるように自らを律するようになるのだ。
> しかし、小選挙区制では、競争の原理はあまり働かない。「一区一人」だから、世襲候補や官僚などが幅を効かすことになる。かくして問題政治家が誕生することになるのだ。

 

北面武士

桜チャンネル 平成二十八年 年末特別対談 西尾幹二氏と語る。

※西尾幹二
昭和10年(1935年)東京府に生まれ。電気通信大学名誉教授。
保守派論客で、硬直化した保守派やナショナリストの一部に対し、「カルト右翼」や「神社右翼」などと厳しく罵倒している。論理回転の早さから知的超特急とも称されている。
「皇太子さまへの御忠言」で雅子妃の問題を、皇室の日本的伝統に、安易に欧米的価値観を侵入させてしまうことの是非の問題でもあるとも論じた。
天皇にとって最も重要なのは、新嘗祭などの古来からの宗教性や神聖であり、日本の「西欧化の宿命」「世俗化の宿命」と闘う最後の悲劇意志の象徴としての皇室というものを理想にしていた皇室論で、明治維新や二・二六事件の時のような革命の象徴にもなりえる天皇というものを想定しており、皇室最後のトリデ論者である。



男系天皇を護っていくこと

祝!連載百回!
男系天皇を護ってゆくことは、日本民族の神聖な伝統である。敗戦後、この伝統を護った一群の人々がいた。源田実司令を中心とした海軍の人々である。このほど、この人々のことを記した貴重な本が出版された

神武天皇版画。月岡芳年作
神武天皇版画。月岡芳年作

この本は「極秘司令皇統護持作戦」である。源田実先生は参議院議員をされ、私たち若者を非常に大事にされた。私たちが主宰した勉強会の合宿にも時折ご参加いただき語り明かしたものである。
 その先生が、晩年に我々に語ってくれたことがこの極秘作戦であった。「宮崎県のある場所」とだけは伺っていたが、詳細なことは聞けずじまいで、先生は鬼籍に入られた。でもこの本は、天の配慮と感謝している。男系天皇の皇統を護持することこそ、究極的には本会の目的でもある

私たちが大学に入った当時は、左翼過激派の学生運動ー三派全学連ーが全盛時代だった。その左翼に対抗する形で右側、つまり民族派の学生運動も勃興する。私もその一員だった訳である。その民族派の学生たちの多くが参議院選挙で支援したのが、海軍のパイロットであり真珠湾攻撃の立役者。いわば我々の「英雄」だった源田実先生だった。当時、源田先生は、自民党参議院全国区に立候補しており二期目だった。私たちは「英雄を落としてはいけない」として奮闘したものだ。その仲間が、その後も同志として親しく付き合っている。

 

北面武士

源田実先生
源田実先生

源田実先生
明治37年(1904年)8月16日
広島県山県郡加計町(現-山県郡安芸太田町)生まれ。
大正10年、海軍兵学校に海兵52期として入学。
昭和10年、海軍大学校35期甲種学生とる。
自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設した。
昭和37年、自衛官を退官、参議院議員4期24年務め永年在職議員に表彰される。

極秘司令皇統護持作戦
極秘司令皇統護持作戦

極秘司令皇統護持作戦
【内 容】 日本の降伏が告げられた玉音放送の2日後、昭和20年8月17日。海軍最強の戦闘機隊・第343航空隊の面々を前に源田実司令は言った。「死ぬよりも重要な任務がある。無期限の覚悟でやってほしい」
GHQによる天皇処刑という最悪の事態に備え、皇族を九州山中に隠匿する極秘作戦。選ばれしは精鋭24名。天皇家の血筋を護るため、彼らの長い戦いがはじまった。
「皇統護持作戦」の知られざる全貌を描く感動のノンフィクション!
【単行本】 254ページ
【出版社】 徳間書店 (2017/7/21)
【著 者】 将口 泰浩



日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著

今、学生時代の民族派の同志であった岡田幹彦氏の本「日本を護った軍人の物語」を読んでいます。その中で明治時代に情報将校として活躍した福島安正中佐のことが書かれた一章があります。福島中佐は欧州の政治情勢、特にかつては強国であったポーランドの滅亡のことを、警告を込めて報告していますが、どうもその実状が現代の日本と似ているので慄然とさせられました

日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著
日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著

ポーランドは、16世紀までは中央ヨーロッパの大国だった。しかし、18世紀末に、ロシア、プロシア、オーストリアの三国によって滅ぼされたのである。この三国による第一回目の分割は1772年で、ロシアの女帝カザリンの提唱により肥沃な平野の三分の一が、三国に分割された。これに対し、同国では独立のための義勇軍が結成されて戦ったが、敗れ失地回復には至らなかった。その後、二回目の分割を経て、1795年には三回目の分割で全土が三国に奪われてしまったのである。
 欧州の主権国家が、地上から消え失せ、ポーランド人は亡国の民となった!! 国家が滅亡し、流浪の民となったのはユダヤ人だけではないのだ。19世紀後半から20世紀にかけて、欧米列強はアジアで次々と各国の植民地化を進めていたが、日本も危機的な状況にあったことは変わりない。
 君主国であったビルマも、当時はイギリス軍に征服されようとしていた。これに対し、福島中佐は「ビルマがこうなったのは、国家の指導者たちが民族存亡の危機に当たり、内外の情勢に盲目で生き残るための戦略を少しも考えず、国家防衛の大義を忘れ、ただ自己の利益と保身のために政権争いにのみに熱中し、忠君愛国の精神が地を払って消滅した結果にほかならない」との視察記録を書い明瞭に分析している。
 この言葉を現代の日本に当てはめて見れば、あまりにも的を得ていることに慄然とするではないか!
国家存亡の理屈にポーランドだろうとビルマだろうと差がある訳ではない。

国防の大義を忘れた国家は滅びるしかないのである。

 

北面武士

※日本を護った軍人の物語 
【内 容】 本書は日清・日露・大東亜戦争において活躍した軍人の物語である。なぜ、彼らは職務と国家に身命を捧げたのか? 日清・日露・大東亜戦争において活躍した軍人の中から、現在ほとんど語られない人物9人を選び、でるだけ平易に紹介する。
【単行本】 268ページ
【出版社】 都築事務所 (2002/07)
【著者略歴】岡田 幹彦
昭和21年、北海道生まれ。国学院大学中退。日本政策研究センター主任研究員。学生時代よりわが国の歴史および人物についての研究を始め、月刊『明日への選択』に多くの人物伝を執筆、全国各地で講演活動を展開中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものである)  

Portrait of Fukushima Yasumasa (福島安正, 1852 – 1919)
Portrait of Fukushima Yasumasa (福島安正, 1852 – 1919)

※福島 安正
嘉永5年9月15日(1852年10月27日)松本藩士・福島安広の長男として生まれる。
最終階級は陸軍大将。男爵。萩野末吉に続く情報将校。
幕府の講武所で洋式兵学を学び、戊辰戦争に松本藩兵として参戦。
明治6年明治政府に仕官し、司法省から文官として明治7年陸軍省へ移る。
陸軍大学校でドイツから来日したメッケルに学ぶ。
「シベリア単騎横断」と呼ばれる、、ポーランドからロシア、外蒙古、イルクーツクから東シベリアまでの約1万8千キロを1年4ヶ月をかけて馬で横断し、実地調査を行う。
日露戦争では満州軍総司令部参謀。
「満州義軍」満州馬賊を率いて総指揮をとり戦った。
明治45年関東都督に就任。



敗戦の日に改称せよ!

「敗戦」の日に思う

敗戦記念日に改称せよ 皇居前広場の臣民たち
敗戦記念日に改称せよ 皇居前広場の臣民たち

また、8月15日がやって来る。この日は、一般には「終戦」記念日と言われているが、このような欺瞞は無いのではないか。私は長年、「なぜ明らかに敗戦の日を終戦記念日と呼称するのか」と、疑問に思って来た。世界史上にあって、自分たちが戦争で負けてそれを「記念日」として祝う「おめでたい」民族は初めてではないのか?
 これがいつまでも日本人が精神的に自立できない根本原因なのではないだろうか?
 だとすれば、危機に立つ日本民族は、「終戦記念日」という欺瞞的な呼称を廃して「敗戦の日」と正しく称すべきであるがいかがなものであろうか?

もちろん、大東亜戦争で亡くなった多くの緒先輩方のご冥福は祈らなければならないし、その限りでこの日を「終戦」記念日と呼称することに反対するものではない。
 しかし、私には違和感が残るし、

いつまでも米軍GHQの仕掛けたマインドコントロールに浸っているのかとの義憤に駆られるのである。

北面武士



元寇と日蓮上人そして亀山上皇

福岡県庁前には、蒙古来襲時に活躍した二人の偉人の大きな銅像が海の方をにらんで立っている。一人は外敵の来襲を予言した日蓮上人で、もう一人は国難をわがこととして、神仏に「敵国降伏」を祈願し続けた亀山上皇である

東公園 亀山上皇立像
東公園 亀山上皇立像

この日は台風接近で、天候は決して良くなかったものの、当時の切迫感を味わうにはちょうど良かった。日蓮上人は、時の執権、北条時頼に「立正安国論」を上程した。日蓮は、当時のさまざまな天変地異を法華経に背いた結果と断じた。

日蓮上人像 福岡市経済観光文化局HP
日蓮上人像 福岡市経済観光文化局HP

 県庁前に立つ銅像は高さ10メートル。八角形の台座に「立正安国」と書かれている。それに隣接して国柱会を創設した田中智学先生筆記の日蓮上人の三大誓願碑が立っている。これは、我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならんーである。この三大誓願を立てたのは、立教開宗の時とされ、さまざまな苦難に会いながら敢然と布教し続けた日蓮の高い志と不屈の決意のほどが偲ばれる。
 隣り合わせの東公園には、丘の上に高さ6メートルの亀山上皇の銅像が立っている。衣冠束帯姿で立つ上皇は、「我が身を持って国難に代わらん」と、伊勢神宮などに祈願した。この二人の銅像は、元寇の最前線にあって敢然と戦った日本民族を象徴する人物でもある。

北面武士

東公園 日蓮上人立像
東公園 日蓮上人立像
手前建つ日蓮上人の三大誓願碑
手前建つ日蓮上人の三大誓願碑
我、日本の柱とならん
我、日本の眼目とならん
我、日本の大船とならん

※日蓮上人立像
明治25(1892)年4月起工式が行われ、明治37(1904)年に完成、同年11月8日除幕式が行われた。
  製作を引き受けたのは岡倉天心(1862~1913)、その図案懸賞には明治27年に同校を卒業する下村観山(1873~1930)のデザインが一等賞を受け(その図案が採用されたか否かは不明)、原型(木型)製作を木彫科初代教授竹内久一(1854~1921)、鋳造を同校鋳金科教授岡崎雪声(1854~1921)が行った。
像高は10.6mで、奈良の大仏(14.87m)、鎌倉の大仏(11.44m)に次ぐ、国内第三位の巨大青銅像である。
【場 所】 福岡市博多区東公園7番11号 

亀山上皇立像 福岡市経済観光文化局HP
亀山上皇立像 福岡市経済観光文化局HP

※亀山上皇立像
元寇を斥けるべく祈願した亀山上皇を記念して作られたもので、鋳造に20年近くを要し明治37年(1904)に完成した。
木彫原型を作ったのは福岡県出身の彫刻家山崎朝雲、鋳造は佐賀市の谷口鉄工所である。 像高4.84m。
【場 所】 福岡市博多区東公園107-3 



日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著

今、学生時代の民族派の同志であった岡田幹彦氏の本「日本を護った軍人の物語」をビールを飲みながら読んでいます(失礼)。その中で明治時代に情報将校として活躍した福島安正中佐のことが書かれた一章があります。福島中佐は欧州の政治情勢、特にかつては強国であったポーランドの滅亡のことを、警告を込めて報告していますが、どうもその実状が現代の日本と似ているので慄然とさせられました

日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著
日本を護った軍人の物語 岡田幹彦著

ポーランドは、16世紀までは中央ヨーロッパの大国だった。しかし、18世紀末に、ロシア、プロシア、オーストリアの三国によって滅ぼされたのである。この三国による第一回目の分割は1772年で、ロシアの女帝カザリンの提唱により肥沃な平野の三分の一が、三国に分割された。これに対し、同国では独立のための義勇軍が結成されて戦ったが、敗れ失地回復には至らなかった。その後、二回目の分割を経て、1795年には三回目の分割で全土が三国に奪われてしまったのである。
 欧州の主権国家が、地上から消え失せ、ポーランド人は亡国の民となった!!国家が滅亡し、流浪の民となったのはユダヤ人だけではないのだ。19世紀後半から20世紀にかけて、欧米列強はアジアで次々と各国の植民地化を進めていたが、日本も危機的な状況にあったことは変わりない。
 君主国であったビルマも、当時はイギリス軍に征服されようとしていた。これに対し、福島中佐は「ビルマがこうなったのは、国家の指導者たちが民族存亡の危機に当たり、内外の情勢に盲目で生き残るための戦略を少しも考えず、国家防衛の大義を忘れ、ただ自己の利益と保身のために政権争いにのみに熱中し、忠君愛国の精神が地を払って消滅した結果にほかならない」との視察記録を書い明瞭に分析している。
 この言葉を現代の日本に当てはめて見れば、あまりにも的を得ていることに慄然とするではないか!
国家存亡の理屈にポーランドだろうとビルマだろうと差がある訳ではない。国防の大義を忘れた国家は滅びるしかないのである。

北面武士


 

蓮舫の二重国籍問題

二重国籍問題を巡り、不透明な対応が問題となっていた野党、民進党の蓮舫代表が18日、ようやく日本国籍を選択宣言したことを示す戸籍謄本の一部を公表した。一応、国籍問題にけりをつけた形だが、遅い対応は最大野党の党首としては依然として大きな問題をはらんでいる

蓮舫と台湾高雄県長楊秋興 From Wikimedia Commons
蓮舫と台湾高雄県長楊秋興 From Wikimedia Commons

蓮舫代表は、これまで戸籍謄本の公開に応じて来なかった理由として、「家族のプライバシー」などを挙げていた。子供が成人していないか、成人しているかを理由とすること自体が問題であるし、「戸籍を強要されて開示することは前例としてはならない」など被害者然としていたのであるからあきれる。
 二重国籍は、一般的にはその国が属地主義を採用しているか、属人主義を採用しているかで発生する。日本は属人主義を採用しているので、両親のいずれかが日本人である場合、その子供は自動的に日本人になる。米国などは属地主義を採用しているので、両親の国籍のいかんを問わず、米国内で生まれた子供は自動的に米国籍になるのだ。
 私の末弟も米国で生まれたため、成人でどちらかの国籍を選択するまでは二重国籍だった。
 蓮舫代表の場合、問題なのは22歳で選択宣言をする必要があるのに、そのまま30年放置し二重国籍状態を続けたことである。私は蓮舫代表が長年二重国籍を放置していた根底には、「自分は本当は台湾人である。日本人になどなりたくない」といった心情があるような気がする。つまり、日本には芸能人として「出稼ぎ」に来ていた以上の心情はなかったのではないか…と疑問視するのだ。たまたまことの成り行きで国会議員になり、党首にまでなってしまった。
 野党、民進党の悲劇はこのような人物しか党首に選べないことなのかもしれない。

北面武士