仲哀天皇・神功皇后の熊襲征伐

仲哀天皇が、朝廷になびかないで反抗する豪族の羽白熊鷲(はしろくまわし)軍の放った流れ矢に当たって急逝された後、神功皇后は三韓征伐に向かうよりも、まず内患を断つことが急務であることを悟った。

神功皇后の熊襲征伐
神功皇后の熊襲征伐

そこで参謀長の武内宿禰と協議して、香椎を経て筑紫に向かったのである。

しかし、その長の羽白熊鷲の権力は想像をはるかに絶するものがあった。

福岡県福岡市 大神神社
福岡県福岡市 神功皇后御征朝の節、大和の将兵此の地に駐屯の折勧請したるものと伝う大神神社

そこでまず地元の神様をお祀りして大神神社を創建し、自らの刀矛を奉った。

そうしたことで兵隊も自ずと集まったのである。

さらに羽白熊鷲軍を取り囲むように七つの陣地を構築した。

福岡県筑前町 神功皇后が 羽白熊鷲を撃つために 設営した 陣地跡の一つがこの「老松神社」
福岡県朝倉市 神功皇后が 羽白熊鷲を撃つために 設営した「七ヶ森」 陣地跡の一つ「三府の森」(みふのもり)がこの「老松神社」

包囲戦での羽白熊鷲軍との激戦死闘の結果、ついにそそぎので羽白熊鷲の軍を殲滅したという。
今、羽白熊鷲の墓は、朝倉市の「水の文化村」の高台の一角に残っている。

                   
北面武士

福岡県朝倉市矢ノ竹にある「水の文化村」 神功皇后 に撃たれた 羽白熊鷲の 墓
福岡県朝倉市「水の文化村」にある 神功皇后 に撃たれた 羽白熊鷲の 墓

※あまぎ水の文化村
【住 所】朝倉市矢野竹831
【電 話】0946-25-0323
【休園日】毎週月曜日及び毎月第3火曜日
【H P】http://www.mizunobunkamura.com/

拉致被害者家族の皆さんのご健闘を祈念する

拉致の可能性が排除できない「特定失踪者」の家族たちが、<北朝鮮による日本人拉致は「人道に対する犯罪だ」>として、オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所(ICC)にクレイジー・ファット・ボーイの金正恩朝鮮労働党委員長の責任追及や捜査に着手するように申し立てるという

International Criminal Court 国際刑事裁判所オフィシャルロゴ
International Criminal Court 国際刑事裁判所オフィシャルロゴ

拉致問題の解決に向けた外交交渉がなかなか進展しない中、家族たちのこうした行動は思い余った末の措置と思われる。

もっとも、国際世論を一切無視し続けている「世捨て人国家」の北朝鮮に対し、どれほどの効果があるかは疑問だが、少なくとも国際司法当局への働きかけは新たな切り口であり、国際世論に対して更なるアピールとなるだろう。

拉致被害者家族の皆さんのご健闘を祈念したい。

                   
北面武士

話題を呼ぶ暴露本「炎と怒り トランプ政権の内幕」

トランプ大統領の暴露本「炎と怒り(原題:Fire and Fury: Inside the Trump White House)」」が、今大きな話題を呼んでいる

Fire and Fury Inside the Trump White House From mazon
Fire and Fury Inside the Trump White House From mazon

私も翻訳が出れば是非とも読んでみたいと思っている。

ニューズウィーク誌などは、「政権崩壊の序章」などと刺激的なタイトルをつけた記事を載せているが、果たしてこの種の本がそんなにインパクトがあるのだろうか?私はかなり疑問思っている。

というのも、トランプ大統領という人物がスキャンダルを食い物にして生きている特殊な存在だからである。

その証拠に最近も自ら「フェイクニュース大賞」を選んで発表しているではないか。

普通の神経の持ち主なら、こんなことは絶対に考えないし、実行に移さないだろう。だがトランプ大統領は平然とそれをやりこなすし、マスコミもそれを喜んでいる風情がある。

人に言わせると、彼は「自己愛性パーソナリティー障害(NPD)」なのだそうだ。

これは誇大性・賛美を求める欲求・特権意識が強く、自己を最重視し、業績を誇張し、不相応の称賛を求めるのだとか。

そう言われてみればこうした特徴はピッタリのような気がする。

いずれにせよ、彼は良くも悪くも大国米国の大統領。

少なくとも四年の任期だけは無事に務めて欲しいものである。

                   
北面武士

日本の古代の城「水城跡」

日本書紀に「筑紫(つくし)に、大堤(おおつつみ)を築きて水を貯えしむ。名づけて水城という」とある「水城(みずき)跡」。最近、市の特別史跡として近隣も整備され、資料館も水城の防壁の中に設立されました。この資料館は、水城の東門跡のすぐ脇に設置されています。

福岡県太宰府市  水城跡(みずきあと)
福岡県太宰府市  水城跡(みずきあと)

この大宰府市にある「水城(みずき)跡」に中島君と一緒に見に行きました。

水城は、白村江の戦いで日本軍が唐と新羅の連合軍に敗れた後、太宰府の政庁を護るために作った防衛線です。長さは1・2キロにおよび、高さ9メートル、幅8メートルの防壁にその前面に堀を築いています。

これで博多平野から侵攻する敵を防ごうとしました。

防壁には東西二ヶ所に門が設けられていました。

このほかに政庁の南北に山城が建設されました。

北が福岡県大野城市にある「大野城」、南が佐賀県基山町にある「基肄城(きいじょう)」です。大野城は、四王山の峰みねに鉢巻きを巻くように土塁や石塁が取り囲んでいます。

福岡県大野城市  古代の山城 大野城 の 百間石垣 
福岡県大野城市  古代の山城 大野城 の 百間石垣

外郭線の総延長は8キロにおよび、古代山城の中でも最大規模を誇っています。今では、石垣の一部が「百間石垣」として残っており、往時の偉容を偲ばせています。
南の基肄城は、404メートルの基山から東側の峰、谷を取り込んで延長4・4キロの土塁、石塁が作られています。今は水門跡が整備されています(写真)。ちょうど雨が降っていたこともあり、水門跡からはとうとうと水が流れていました。いずれの施設も古代日本人の国防精神の旺盛さを物語っています。

                 
北面武士

福岡県太宰府市  水城跡と大野城跡
福岡県太宰府市  水城跡と大野城跡

 

※水城跡
福岡県の太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた、日本の古代の城。

 

日本武命を祀る雉琴神社

中島君と一緒に糸島市にある雉琴神社に訪れてみました。

福岡県糸島市 日本武命を祀る雉琴神社 マイタウンWeb伊都より
福岡県糸島市 日本武命を祀る雉琴神社 マイタウンWeb伊都より

これは先日訪れた雷山にある雷神社のいわばふもとにある神社です。

変わった名前の神社ですが、やはり神功皇后が三韓征伐後に帰って来てから創建された神社です。

これは神功皇后が、雷山に雷神社に参拝して遠征の成功を祈願した後、ふもとで一泊した夜に夫の仲哀天皇のお父様であられる日本武命(ヤマトタケルノミコト)が夢の中に出て来られ、賊徒征伐の方法を教えられたということです。

琴の音がしたと思って目が覚めたら雉の鳴く声だったとか。それで雉琴神社の名前をつけたのです。

雷山のふもとですから、今でもひなびている場所に建っています。

でも、神社はきれいに清掃されており地元の人々がいかにこの神社を大切にしているかが分かります。

敷地内は神気が漂っている良い神社です。

ご祭神はヤマトタケルノミコトです。

参拝後すがすがしい気持ちで帰って来ました。

                   
北面武士

 

※雉琴神社(キジコトジンジャ)
【御祭神】日本武命(倭建命)
【所在地】福岡県糸島市飯原2105

私と西郷隆盛先生

私の心の中に定着し続けた     「英雄」西郷南洲翁

Portrait of Saigo Takamori Edoardo Chiossone
Portrait of Saigo Takamori Edoardo Chiossone

私は小学生時代に東京の上野動物園によく親や姉から連れて行ってもらったことがあります。特に二人の姉のうち、六歳離れた次姉にはことのほか可愛がられました。そうした次姉からよく上野動物園に連れて行ってもらった記憶があります。

上野動物園に行く途中には、必ず西郷さんが犬を連れた銅像に出会うわけです。そうしたことで、私は小さい時から西郷さんには親しみを感じていました。

次第に、私にとって目指すべき理想的な人間像として西郷さんのイメージが定着していった気がします。

私は若い頃、特に大学生後半ごろから徐々に肥満体になりますが、今ではそれも理想像として西郷さんをイメージしていたからだと考えています。

もっとも直接的には、尊敬する三島由紀夫さんがボディービルをしていたことにあこがれ、大学生になって二年間は渋谷にあったボディービルのジムに通っていて、ムキムキの体型になったのですがあまり筋肉がつくと体が凝ることと、法学部の専門過程に入ったことで勉強を余儀なくされた結果、トレーニングをしなくなり、その反動で太ってしまったーというのが真相ですが。いずれにせよ、私の理想的人間像、そして「英雄」として西郷さんは私の心の中に定着し続けたのです。

したがって、延岡で西郷さんが西郷軍の解散を決意する最終的な場面で、西郷さんがニニギノミコトに邂逅したことを知った時、私も含めた三人の関係、そしてその因縁の浅からぬことを知ったのです。

                    

北面武士 

希望の党が右往左往

希望の党が院内の統一会派問題で右往左往している。どうもこの政党は小池都知事がいないと、保守なんだかリベラルなんだか一本の筋が通らないようだ

希望の党
希望の党

希望の党の古川元久幹事長と民進党の増子輝彦幹事長が、このほど都内で会談し、衆参両院での統一会派結成に向けた合意文書を交わした。

その結果、両党の間で隔たりが大きかった安全保障政策や憲法改正問題を巡り希望の党側が歩み寄ることで合意したという。

こうした希望の党側の対応に対して、同党内には不満が渦巻いている。

特に松沢成文参議院議員団長などは、「今年は憲法改正が重要な政治課題」であると主張している。

野党であっても日本のために憲法を見直す政治勢力を作らねばならない」と正論を吐き、「理念、政策の違う民進党と統一会派を結成することには反対だ」と主張するムキも存在する。

衆を頼んで希望の党が、簡単にその理念も政策もねじ曲げるのであれば、早晩「希望の党」ではなく「気泡の党」になってしまうのではないだろうか?

                   
北面武士

仲哀天皇と神功皇后

仲哀天皇の死因のもう一つの側面と、神功皇后への強力な神助についてです。一つ目が小郡市にある御勢大霊石(みせたいれいせき)神社です。

福岡県小郡市 御勢大霊石神社 小郡観光協会HPより
福岡県小郡市 御勢大霊石神社 小郡観光協会HPよ

社伝によれば神功皇后は仲哀天皇の崩御の後、石を御形代として奉斎し三韓征伐に出かけたことになっています。

古代では女性が夫を呼ぶ時には「せの君」と言いました。

その意味で御勢大霊石とは、「愛する夫君の御魂を留めた石」ということになります。

古事記によれば、仲哀天皇は神の言うことを聞かなかったため急に崩御したことになっています。

しかし、福岡県神社誌に書かれている伝記によれば、仲哀天皇は熊襲攻撃にあたりこの地に仮の陣所として軍を監督されたと言います。

ある日前線を回り黄昏時に陣所に戻られる途中で敵の流れ矢に当たってしまわれ、その日のうちに崩御されたという。

これは古事記よりも説得力のある説明です。

したがってこの場所で仲哀天皇は崩御されたことになります。

同神社を訪れた時は雨が降っていたが、勇壮な仲哀天皇の御霊を祀るにはふさわしい神社のような気がしました。

その後、曲がりくねった山間部を通って糸島市に行き、雷山にある雷(いかづち)神社に向かった。

福岡県糸島市 雷神社の拝殿
福岡県糸島市 雷神社の拝殿

この神社は、第六代孝安天皇から第十一代垂仁天皇の御世まで異国から我が国に襲来することが度々あり、当社の神が大雷火となって異賊を降伏させらたという非常に霊顕のある神社です。

神功皇后も当然、三韓征伐を前にして当社にお参りされ、戦勝を祈願されました。

雨の中、私たちも祈願に訪れましたが山頂に近い森の中に立つ威厳のある古社という気がしました。          

北面武士 

 

※御勢大霊石神社
【御祭神】足仲彦大神(十四代仲哀天皇)
 (配祀)  天照大神
     八幡大神
     春日大神
     吉富大神 (長栖の長者で738年社殿創建)
【所在地】福岡県小郡市大保1032番地
【問合せ】0942-75-3350
【H P】http://kanko.ogori.net/index.php?cID=154

 

雷神社
【御祭神】水火雷電神
     彦火火出見尊
     香椎大神
     住吉大神
     応神天皇
【所在地】福岡県糸島市雷山148

神格化攻勢が加速する習近平体制

シナ国内での習近平主席の神格化攻勢がますます加速しているようだ

赤色支那国旗
赤色支那国旗

これは評論家の石平氏が指摘している事態だが、<シナの人民日報は年末年始の六日間の紙面の一面トップを全部習主席の記事で埋め、さながら「習近平日報」と化している>という。

この異常性は、習近平を安倍首相に置き換えてみれば良くわかる。

安倍首相がどんなに優秀なリーダーだったとしても日本の新聞はそこまでは連日書かないだろう。

ましてや大新聞を「日報化する」ことなどあり得ない。

このような現象が起きるのは、習主席の焦りが背景にあるのではないか?私のみる限り、習近平なる男は権力欲の異常に強い凡庸な男である。

凡庸な男であるが故に、ライバルの出現を恐れる。

だからだれもかれも服従を強要する。それが神格化路線に走らせることになる。
問題はそれが裏目に出た時だ。その良い例が毛沢東。

先を見ることができないため、革命以降はやることなすこと失敗ばかり。結局2000万人のシナ人を死に追いやった。

しかし、今のシナは規模が違う。裏目に出たらそれこそ世界を破壊することになりかねないのである…

                    

北面武士

元の大船団に挑んだ果敢なる戦闘者精神が「神風」を呼んだ

第二回の元寇となった弘安の役は、各地の侍たちの積極的な襲撃が元軍の攻撃を遅らせ、「神風」の襲来に繋がった。つまり、元の大船団にひるまず攻めこんだ将兵たちの果敢なる健闘が、「神風」を呼び寄せたとも言えるのである。

長崎県松浦市 松浦水軍の大兜
長崎県松浦市 松浦水軍の大兜

今回は、長崎の松浦市にある松浦水軍の跡地を訪問した。

当初、元軍は博多湾の攻略を試みたが沿岸は石の防塁が積み上げられて攻略できない。反対に陸上からは雨あられと矢をいすくめられバタバタと蒙古兵は倒れていった。そこで沖合いに船を引いたのだ。

松浦の御家人、草野経永は手勢と共にひそかに二隻の小舟に乗って敵船に夜襲をかけた。船におどりこみ散々に切って回り帆に火を放った。夜襲の成功を見た武将たちは、我先に沖にこぎだした。各自に同じように夜襲をかけた。

翌日は、瀬戸内水軍の一党で伊予の御家人、河野通有の軍勢が石塁の前に陣を張り敵を待ち構えたが、攻めて来ないのでそれではと二隻の船に部下を乗せて白昼堂々と敵船団に向かっていった。接近すると、帆柱を切り倒して橋にして敵船団に乗り込んだ。

敵兵の真っ只中に切り込み、敵兵を散々切り倒した。

敵将を生け捕りにし船に火を放って悠々と引き上げたというから大したものだ。

このような日本兵の奮闘により数日間の戦闘の後、博多への上陸を諦めた元軍は鷹島方面に引き返した。

元軍の主力部隊とも合流し、みんなで七月二十九日を期して博多を攻める計画だった。

しかし、平戸から鷹島にかけての一帯は、津々浦々に松浦党の根城がある。

彼らは巨像にたかる蜂のように、執拗に襲いかかった。また博多湾に集結していた各国守護、御家人の兵船が大挙して鷹島に停泊中の船団を襲撃したため、兵員や船舶に損傷が増え、総攻撃の日程に数日間の狂いが生じたのである。

かくして七月三十日となり、夜半に「神風」が吹くのである。

松浦市の沿道には、松浦党を記念した大きな兜をかぶった武士のお面が立っている(写真)。そのお面は鷹島方面の海をにらんでいる。

まさに鎌倉武士の気概が伝わってくるような勇壮な仮面である。

                    

北面武士