正論社ギャラリー

ホーム> 正論社ギャラリー > 東郷公園(秩父御嶽神社)散策

2016年11月16日 東郷公園(秩父御嶽神社)散策

日時:平成28年11月16日(水)

 

紅葉に燃ゆる東郷平八郎元帥の立像

 

弊会の同人島田氏に誘われ、飯能市(住所上は)というより秩父といった方が分かりやすい東郷公園秩父御嶽神社に参拝してきました。
その存在すら知らなかった非学ぶりに赤面の至りであります。
神社の手前の秩父街道の宿場町の吾野宿は、古民家が建ち並び中々風情を感じる街並みが残っていました。
火事の多かった江戸の町の復興普請の材木(西川材)として高麗川を使い運ばれ大いに栄えたそうです。
秩父御嶽神社の三代目の宮司は島田氏の同窓の方だそうでしたが、残念なことにお留守でしたのでご挨拶はできませんでした。

 

 

信州木曾御嶽山の行者であった初代の鴨下清八翁。
清八翁は、日露戦争後に東郷平八郎元帥の人柄と精神に感銘を受けて銅像の建立を志したそうです。
東郷元帥は、御自身の銅像の建立に関してどのような要請にも固辞しておられたそうです。
しかし清八翁は東郷元帥のもとに八十数余回の嘆願を続け、ついに許可を得られたそうです。
費用は日本海海戦の際の 指令文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」との名言になぞらえて、
毎日1銭づつ1銭貯金を続け建立資金としたそうですが、
1銭は今の貨幣価値にすると100~300円位でしょうか?
銅像建立には、途方もない時間もかかったのでしょう。
念願を遂げた大正14年の除幕式には、東郷元帥も参列され翁は大いに面目を施したのでした。

 

 

当時世界最大の軍事大国であった列強ロシア帝国の主力であったバルチック艦隊を、
辺境にある無名の島嶼の小国が破った事は世界に大きな衝撃を与えた大事でした。
特に西洋に圧倒されていたトルコ、ペルシャやインド等のアジアの諸国は、
日露戦争により自信と民族の尊厳を取り戻したのでした。
インドのネールが「日本の勝利はアジアにとって偉大な救いであった」と言い、
中国の孫文に「今ではアジアに日本があることで、白人はアジア人を軽蔑しなくなってきた」と言わしめたほどなのです。
東郷元帥とは日本が世界に誇る最高の名将なのです。
比べては失礼な例えですが、
音楽ファンからすればビートルズやマイケルジャクソンほどの実績と名声ある英雄と言えるでしょう。

 

 

生業は木こりをしながら山岳信仰の熱心な信者であった清八翁が、
一人で自分の持山を開拓し秩父御嶽神社を創設したそうです。
そこに敬愛してやまない東郷元帥の立像を配してからは、
境内をいつからか東郷公園と呼ばれるようになったようです。
翁は没後、清貫一誠霊神として祀られています。
乃木希典大将の立像もあり、両将軍が一か所で建立安置されているのはここだけでしょう。
公園内には日露戦争の遺物や後の海軍省より下腸された記念品が点在しています。
日本海海戦の激戦を彷彿とさせるロシア戦艦の攻撃を受けた戦艦三笠の被弾甲板や、
旅順港口閉塞作戦の機雷や、バルチック艦隊主砲の砲弾などが点在して安置されています。
燃えるような紅葉に包まれた東郷元帥像は、
なにか神秘を感じさせ、一篇の詩のような美しい風景でした。


平成28年霜月 鈴木誠厳



秩父御嶽神社(埼玉県飯能市坂石)

 

東郷公園にて

 

東郷公園にて

 

東郷平八郎元帥手植えの松

 

東郷公園にて

 

平八郎元帥像

この銅像は、世界で唯一東郷平八郎の許可を得て作られた銅像になります

 

東郷平八郎元帥像 案内表示板

 

東郷元帥像

 

鴨下清八翁像(1863~1956)

 

案内板

 

乃木希典大将像

 

乃木希典大将像

 

戦艦三笠の被弾甲板

 

ロシア海軍の水雷(左)と対艦砲弾(右)

 

秩父往還(R299)にある“わっぱめし”で有名な“やまき”

 

わっぱめしで有名な「やまき」にて名物の鮭わっぱ飯をいただきました

 

東郷せんべいを販売している若松

 

秩父往還吾野宿

 

秩父往還吾野宿

 

秩父往還吾野宿

 

秩父往還吾野宿

 

見事な紅葉

 


画像アーカイブス 靖国神社 2017年一覧 2016年一覧 2015年一覧 2014年一覧